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    カテゴリ:義巨の理屈

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    送信者 2014-03-05

    僕の理解では大阪都構想というのは「自治体の合併」にすぎません。

    無駄な境界線をなくすことで、個々のエリア(区、特別区)に十分な「自己決定権」と「実行力」を与える事。

    たったそれだけのことです。

    ですがそれが今まで「国、府県、市町村」で出来ずに来ました。

    ほんのこれくらいの事がなんと「システム変更=大改革」なのです。


    事実そうでしょう?
    大阪府知事、大阪市長、大阪府議会(←誤認:公明党の協力があったので多数だった)を押さえている維新の会でさえ、大阪市議会の反対ですぐには実現できない状態です。

    この「変化」を今やれば「大改革」、維新の会の言い方でいえば平成維新「大阪維新」です。
    10年後どうしようもなくなってからやればただの「破綻自治体処理」です。

    ……で、前のツイキャスで見た『維新の会の主張』をまとめてみました。
    ワード文書なので改定も可能です
    (但し、リンク先で見ると変なはずなので、「↓」ボタンでダウンロードしてください)
    http://p.tl/Ez3K(Word文書)

    ※『事実誤認』「維新が府議会で過半数」だったのはその段階まで「公明党」が協調していたからで、単体で多数だったわけではありませんでした、すいません。


    「いつやるの?いまでしょう?」林T

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    『スマートデバイスやパソコンを教育に使う』という話

    この話で私たち「紙世代」がやりがちなのは「ノート」なり「教科書」の「紙(と鉛筆)の代わりにパソコン画面をつかうのだね!!」と思ってしまうことだ。

    紙の代替としてパソコンを捕らえると「それは使いにくい(けど保存がしやすい)紙」という事に過ぎないからだ。

    IT化というのはなんのためにやるのか?

    それは「使いにくさ」を克服するためではなく、「より良い成果」を生み出すためだ。


    『紙とITデバイスは別モノ』

    紙とITデバイスはもちろんどちらも「A4前後のディスプレイ」を提供できるという面では「似ている」が、実はまったく違う。

    それは「紙には頭がついていない」という事である。

    もちろんそれは否定される事ではない、自由に線が引ける、自由に書き込みが出来る「紙」という存在(やそれに類する器具-パソコンでもたとえば「メモ帳」や「オフィス」「フォトショップ」などはそうだ)は今後も残るし、大切なものだ。

    しかしITデバイスを使った教育のメリットはそこではない。

    「ITデバイスには頭がついている」事こそが大きなメリットを生む。


    『スマートデバイス=頭のついたデバイスが開いてくれる可能性』

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    先週のニューズウィークの記事この3年ほどで2回以上「スマート教育」の特集が組まれ、幾度も大きく取り上げられている

    これは教育の中でも特に初期の「基本」を教え込む教育にメリットが大きい。

    つまり、『スマートデバイス』を用いる事で大きいのは、学習者の「入力」に対して即座に「フィードバック」が可能な事である。

    もちろん「成否」を即座に出せるというのもメリットは大きい(あの良くできた公文式でも指導員の採点は待たなくてはならない)。

    しかし、現在アメリカを中心に研究されている「スマート教育」というのはそのレベルを超えている。

    その回答パターンから『その人がどの部分を理解できていないのか?』を解析し『適切な資料と課題』を即座に提供する(フィードバック)する仕組みになっている。

    僕の知っているのは2~3しかないので、それの含まれているまとめ記事であるこちら「知の民主化|海外で話題のアメリカ発オンライン教育サービス15選」を参照。

    ここで書かれているものの多くは「大学教育」なのでさらに「ライブ中継によるフィードバック」などが加わっているが、あなたが思うように「それならばあってコミュニケーションを取るほうが良い」と私も思う(もっともライブになっているおかげで、アフリカの若者も学位を取れる可能性がある)。


    しかし『授業』で行われるような『知識の伝達』は、こういった『手間を度外視して徹底して付き合ってくれる指導者=スマートデバイス』が存在する事で教える側も教えられる側も大きなメリットを得る。

    教える側は何度も同じ事を繰り返すという手間を防ぐ事ができ、もっと重要な案件(たとえば公民の授業でやるディスカッションの準備)などに時間を割く事ができる。

    教わる側は「いやな顔もせずに徹底して付き合ってくれる」講師を得ることになるし、望むならどんどん学習を進めていくこともできる。

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    教科書とノートを一人で駆使して復習をするよりも、一定の進路を定めて呼びかけ『説明の動画』や『確認テスト』を示してくれるくれる『スマートデバイストレーナー』は大きな助けになるだろう。

    先週のNewsWeekでは「あなたを中毒にする言語学習アプリ」という記事があり、ある記者が週末に無料アプリ「デュオリンゴ」でスペイン語学習に熱中したという記事が出ている、さらにこの記事ではこのアプリの「(無料の)ビジネスモデル」まで突っ込んで書いている、あなたなら完全無料の言語学習アプリをどう運営するだろうか?ボランティア?それとも「どこかからは有料制」にする?ブーどちらもハズレー。


    『IT=ダサイアイコンと眠くなる課題がカクカクと表示されるお勉強ソフト』というイメージは捨てるべきだ、もちろん逆に『変にカラフルなキャラクターが出てくるだけの、お遊びソフト』という認識も捨てなくてはならない。

    今アメリカのトップの大学ではどこもオンライン学習を真剣に進めており、それが『21世紀のビッグビジネスになる』と本当の必死さで、IT技術者、教育、学者が研究を進めている。

    「より速く、より正確に、より簡単に(面白く)」『基本を』わからせる事がそのミッションである。


    応用には『ディスカッション』や『実戦』が必要だろう、しかし基礎(たとえば片言でゆっくり話せる程度の英語)を身に着ける方法としてはこのアプローチが現在の技術で最適といえるのではないだろうか?

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    gappei


    市町村合併はなんのために行われるか?

    それはズバリ『コスト削減』そして『リストラ(再編成)』のためだ。

    都構想では、『府市一本化』してムダを省くとともに、大阪都を5のエリアに分けてそれぞれに『都庁の支店(区役所あるいは区議会)』を置くとしている。

    何故『5』か?となると思う。

    これは東京という経済圏(超人口密集地)が24に分かれている事を考えると、大阪の『区』に実行力を与えるためにはこれくらいのボリュームが無ければならないということだろう(橋元氏が道州制を支持しているところから判断すると、『東京の区よりもパワフル=大きな区分』になっているのだろう)。

    イメージとしては『頂点と統合役の都庁(都議会)の下に地域性があり実行力のある区役所(区議会)が5つできる』というのが大阪都構想のアウトラインになる(と思う)。

    もちろん、政治的には細々した点が問題になるからこれを詰めて『マスタープラン』にするのだと思うが、細かい点はハッキリ言って大事ではない。

    何故ならこういう点は結局『現場』がある程度裁量をもってやるからだ。

    ダメだという人はいようが、結局車の運転において、完全に法規を運用できる運転者がいないように(現実的に運転速度さえ裁量が認められている)、これは仕方ない。

    しかし、車の場合を見れば『線引き』をしっかりしていれば交通は十分機能している(最近の問題は自転車で、これにはきちんとした線引き、区画がないので、最近の様に数が増えると事故が急増する)。

    つまり大枠での『線引き、役割分担』が適切なら十分社会インフラは機能するし、枠を大きく超えない限りは現場に任せた方が『最適化』されるのは直感でもわかるだろう(議会なりが決めた制限速度は守られないし、例えば公営保育所での保育のあり方なんて事(ましてや現実にはこういう仕事は千万とある)を細かく規定する事は非現実!!)。

    適切な規模の『区』を作りそこに府と市が『田分け※』して持っていた権限を統合して持たせる事で実行力を持たせる事が出来れば、細かいところは勝手に進むはずだ、誰も運転者を『一括管理』しなくてもみんな勝手に目的を達しているように。

    ※『田分け(たわけ)』田んぼを分割相続するようなことを『たわけ』と呼んだ。例えば車道を左右二つに分けてしまえば本来の目的を達する事は出来ない(効率よく車は走れなくなるだろう)し、改良工事も単独では出来ないという状態になる。


    『線引きをし直す事でみんな(今よりは)ハッピーになる』というのが大阪都構想のメリットだ。

    デメリットはリストラでは必ず『失業者(物)』が出ることだ、経済活動にはつきものだが(政府統計に『失業率』というものがあることからも分かる)もちろん失業の後の『転職、転業』という『調整(リセッション)』まで経済という流れには『つきもの』である。

    ただし、大阪市、大阪府という大きな組織の『調整』ではかなり大きなインパクトがあるのは間違いない。

    このインパクトを受ける人々は様々な理由で『必死の』抵抗をする。

    経済上もまたアイデンティティの上でもこれは必然的な事だ。

    ただ、経済の問題とはいっても、役人をいきなりクビにする法はないだろうし、やる気があれば次の役分も見つかるだろう。

    線引きを見直す事のメリットはコストダウンもあるが、なによりも大きいのは『無駄な組織間のつばぜり合い』や『譲り合いによるポテンヒット』を無くし、すべてのコストや付加価値(労力)が『成果』に繋がる事である。



    「都構想は『いつやるか?』の問題」

    ではなぜ、大阪は『府市町村合併』をしなくてはならないか?

    そう、一般的にはこういう改革は『立ち行かなくなった自治体でやる』ものだ。

    しかし、どうせやらなくてはならない改革なら早くやった方が良い。

    たかだか線引きの問題を正せない事で人間が不幸になっているのはあまりにも馬鹿らしい事だ。

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    前回の手紙から、考えてみるとはや2年が過ぎた。

    日々の過ぎ去る速さと、物事の・・・・・・という事は人々の考えや振る舞いの変化の遅さに驚く日々だ。

    もちろんそれは偉大なるドーチェにとっても同じだろうと思う。


    2年前の偉大な勝利の後、瑣末な紆余曲折は経ても「明らかな民の支持を受けた政策の実現」にも反対の表明を受け、今回は「再度の選挙」をもって正統性を示さねばならじ、と決断せざるを得なかったのだから。


    その上で今回の決断は、理想的に民主的で、思いやりにも満ちているがゆえに逆に多くの憎悪と批判を巻き起こさざるを得ないだろう。

    しかし、市民の多くがささやいている事は、今の段階では気にする必要はない。

    これは"幕"が開く前につきものの、期待と不安を受けたさざめきに過ぎないからだ。


    「論点を提示し」「市民に提案して支持を得る」ということが民主主義の政治家にとって無くてはならない資質である事はほぼ疑問の余地は無いはずだ。

    しかしながら、今回の行いについてのマスコミの指摘は『前代未聞』であるという一点に集中しているように見える。

    旧来の振る舞いはもちろん、旧来の政治、旧来の行政を覆す事についても、本当の意味で反対するものは少数であるの事はほぼ疑いがないはずなのだが。


    ・・・・・・人間の認識力については微苦笑するしかないが、やはり"幕"が開き、眼前でその事物が展開せねば公正な判断などおぼつかないのが人間であるのだろう・・・・・・。


    かくなる上は、すみやかに「幕」を開けて、『筋立て』を人々の眼前に明らかにすべきだろう。


    そして、市民が「論点」を再認識し、その上で自身が本当に求めるものを得る事・・・・・・

    ・・・貴方が指摘するように、この劇の最終幕は『住民による直接投票』である、住民が投票した結果が行政を変えるという『事実』に人々が接すれば、人々は本当の意味で『民主主義』を体感するだろう・・・

    ・・・・・・を私も強く願っている。


    偉大なるドーチェ(頭領) ハシモトへ
    一市民 義巨より。

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    "マネジメント"="管理"と訳するテスト主義の矮小さ。



    言葉の翻訳がその「振る舞い」の定義を「矮小」にしてしまう事が日本では多い気がしています。

    その最大の例は"マネジメント"を"管理(管理職)"と訳する事です。

    広義の言葉である"マネジメント"の意味を(日本で)ビジネスの用語として使われる場合の意味に「合わせた」という事なのでだと思いますが、こういう翻訳はおおむね「矮小化」につながっていると思われます。


    海外では『特別な用語』を必要なく作り出す事はあまりありません(その場合BPOのように単に頭文字をとって略語にする傾向が多いでしょう)。


    "本来の意味から考えるとManagementには『経営(経営層)』のほうが適切"



    Control(支配)というような意味が強い「管理」をManagementの訳語にあてたのは、おそらく訳者が「経営」という広がりのある言葉を「中間管理職が行う事ではない」と自己規制したためではないでしょうか?

    (…ですが、皆さんご存知のように中間管理職も「経営と一体」という事で残業代は出なかったりするのです何なんでしょう、この二枚舌)


    「マネジメントの重要性」というような研修を受けたとしても、日本人だけが「部下の『管理』をどうするか?」と考えているとすればこの「矮小訳」によって日本の企業活動は大きな損害をこうむっていると考えられるのではないでしょうか?

    関連:目標管理制度のヤバイ話「始めから無効化した制度を導入した日本企業」

    ビジネス用語でヤバイ翻訳多発の「マネジメント関連」



    さてこの「ビジネス用語翻訳(?)」について、ヤバイ翻訳が多いのが『マネジメント』がらみの用語です。

    例えば『目標管理制度 = Management by Objectives and Self-Control』なんて概念も「目標を出させて管理する制度」という単なる「ノルマ制度」に変わってしまっています。

    セルフコントロールは何処に消えたんだ!?…本来は、会社と個人が「その人がどの目標に向かって努力するのか?」を『相互に同意』して「自発的な目標が業務」に含められる・・・・・・というような『前向きで建設的な制度』であるはずなのですが。



    ヤバイ翻訳No.2「エンパワーメント」



    さて、一番の誤訳はManagement=管理だと思うのですが、私は2番はこのエンパワー(empowerment)ではないかと思っています。

    "エンパワーメント"="権限委譲"というのはあまりにも矮小な翻訳です。

    この訳では"力は下賜されるもの(えらい人から与えられるもの)"になっています。

    本来のエンパワーメントがそういうものではないのは明らかです(歴史についてはこちらを)。


    さまざまな社会運動の過程で使われてきたエンパワーという言葉にはどちらかというと「希望を与える」という意味合いのほうが強いとさえ思えます……希望が市民運動を盛り上げ、最終的に「公正を実現した(結果虐げられた人たちに力を取り戻した)」という事がほとんどです。

    文字通り『力(POWER)を与える事』がエンパワーなわけです。

    それは「現状がどうあれ、いずれは必ず良いもの、より公正な組織、社会が実現される事をみんなが望んでいて、そしておそらくは実現される」と希望を与える事が『エンパワー』という言葉には本来含まれているのです。


    より重大なのは『その姿勢、振る舞い』。



    『権限委譲』という『権限を下賜する』言葉では、「Empowerment」の重大な意義(本来は持つ明るい意味)を理解する事は出来ないでしょう。


    「Empowerment」に適切な訳語は・・・・・・苦しいところですが、希望を与え、理想を実現する『希望付与・理想探求』とでもするべきではないかと思います。


    経営者の皆さん「希望を付与し、理想を探求する」ために権限も付与してあげてください。

    ビジネス系の用語は結構「哲学的」なモノでその理念の理解が無くては生きないモノが多いのです。
    例えばアダム・スミスは「経済学の父」と呼ばれますが、本来の仕事は「神学と教育」でその理念に基づいてまず分業の重要性を指摘し、次に「考察したこと」が経済学につながったのです(経営学はもう少し後なのですが、アダム・スミスは結構現場的な事(鍛冶屋の例)も書いています)。

    そしてアダム・スミスが「国富論」で指摘したもっとも重要な概念「比較優位」は『全てにおいて能力に劣った国(主体)』であっても「相互に役割分担をして、自分の最も得意な事に集中する事で世界に貢献できる」という『希望(エンパワー)』であったのです。

    sns_portlate2013

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    「雄々しすぎるのが問題」

    日本企業が上手く行かない理由の一つは「雄々しすぎる」事だろう。

    僕の目から見ると乱暴な思考、粗雑な工程管理、いい加減な現場管理とまるで「むかしのアメ車」のような水漏れっぷり。

    そして、問題が起こると頻発される「突撃命令」ほとんど「皇軍」だ。


    労働は尊いものだ、それはコストであり、ある個人の人生でもある。

    それを「アメ車に注ぐガソリン」のように使ってはならない。


    エコカーレースの車のように、厳密で無駄のない設計にする必要がある、それがマネージャーの生み出す付加価値であるべきだ。



    メールの転送なら、メーラーがしてくれる。


    sns_portlate2013

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    『悪貨は良貨を駆逐する』ということだが。

    heart


    結局のところ『労働者の企業への無償奉仕』が当たり前の世界では、『普通の企業』は『無償奉仕』を当たり前とするしかない。

    普通に競争していれば、「企業Aにおいて原価のある部分(人件費)が2割増し」で、「企業Bでは2割引」であるとするならこれはお話にならない(人件費が原価における1/3としてもトータルで4割程度の価格差があるなら販売価格にもそれなりに影響するはずだ)。

    現在、多くの日本企業では『労働者から寄付(あるいは『時間泥棒』)』がその『運営』の前提になっている。

    『あたりまえ』がそうなのだ、それをしない事は「ずば抜けたお人よし」を意味し、それは『普通に考えれば』『競争上』『組織にとって大きなマイナス』である。

    収奪をしなければ『モヒカン』はあの隆々たる体格を維持しえないだろう。


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    「滅亡後の世界なのになぜか『モヒカン』だけはムキムキな無法者として存在している」

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    「『モヒカン』と『種もみ村人』との対比」



    ただ、これは非常に『安易』な事である。

    そもそもでいえば、「ある企業」が存在している理由は「普通に組織を運営しているから」ではない。

    少なくとも発足当初においては「スペシャリティ」が存在し、それを「提供」していたからだ(そしてそれに喜んでお金を払う顧客が居たから、その組織は『確固たる形』になっていったはずだ)。

    そもそも『組織化』なんてされなくても・・・・・・という事は効率化も個人のレベルでしかできないし、ましてや『他人をただ働きさせて薄く広く集めたお金をアテにする』なんていう工夫なんてできなかったはずだ・・・・・・

    『選ばれていたスペシャリティ』を-----信じないのか、無くした(陳腐化した)のかはわからないが『提供できなくなっている現実』から目を背け、責任を認めないから『あたりまえの努力としての簒奪』ぐらいしかできる工夫がなくなってしまうのだろう。



    「あなたの会社は『モヒカン』になっていませんか?」でも村人でも困るんだけどね。
    できればせめてアインくらいの力と人間性を持ってほしいものです。

    sns_portlate2013

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    「結局、リーダーシップは全員が持たなければいけない、リーダー一人に全てを求めてはいけない、ということ」

    書籍「採用基準」についての解説(出口治明の「ビジネスに聞く読書」より)

    結局こういうことが重要なのだと思う。

    自分は「一参加者なので消費者」として振舞う人が増えるとそのコミュニティは崩壊する。


    私が大体どのグループに居ても一定以上の影響力を持つようになり、その上で五月蝿(うるさ)がられるのはそのせいだろう。

    私は参加したときからメンバーシップとしてリーダーシップの一人として参与するし、そうすれば「ブンをわきまえぬやつめ!」と考える人はどこにでも居るからだ。

    しかし、誰も発言しない、行動しない秩序が何かを創り上げることはありえない。





    sns_portlate2013

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    リーダーシップに必要なポリシー

    1)金銭的保証
    「一般的といえる給与を保証すること」

    『そのビジネス』でどう(上手く!!!)利益を上げるか?それを考えるのはリーダーの仕事だ。


    2)無駄な仕事をさせない
    「『働き』が『成果』につながる仕組みを作る(作れないというのは怠慢、あるいはそれ以前の怠情)」「配慮不足で『右に動かした荷物を』『また左に戻さなくてはならない』様な事をたびたび起こすようならその人物はリーダーとしての能力も、十分な自覚もないということだ」

    「『無駄な確認要求をしない』業務のバイタル(体温)がとりたければそういうデータを自動的に取得できる仕組みを作る。それを『解説』してほしいなら、それを『主任務』とする人間を置く。」今時『ほうれんそう』などという事を言い続けるのは『時代錯誤』だと認識するべき(作業の進捗なんて事はデータでわかる、話をするならもっと有用な事を『対話』すべきだ)。


    3)メンバーの能力を活かす
    「提案はすべて受ける」そして「可能な限りその実現に協力する」

    よくあるパターンは「駄目な理由を説明して、納得させたつもり」「聞くだけ聞いて無視」という事だどちらも「話をした」と思っているのは『管理(していると思っている)側』だけで、メンバーはただ『あきれているだけ』だ。


    結局の話、まっとうな人間なら以上の3つを満たされれば動く。
    『動かない人間がいる』と主張する人は、『自分が出来ているつもり』で上の三つのどれかを守っていないか、メンバー側がそれまでの経験から『あきれ果ててしまっている』かのどちらかだ、そしてどちらの場合でもそれは『リーダーの問題』である。


    3-2)『あきれ果ててしまっている』人間を動かす
    簡単な話だ、相手の意見を真摯に聞き、相手の出来る事を判断し、その実現に最大限の協力をすると申し出る事だ。

    あなたが約束を守るなら、メンバーは動く。

    動かないなら?

    それはあなたが「上手い言い訳を使って」約束を破っているだけの事だ、あなたがどう思っているかは関係が無い、約束は相手との間にしている事なのだから「相手が納得しない限り約束が守られた」とは言えない。

    どうすればそれができるのか?

    ビジネスでは一般的に言われる事だが「ここまでやるか?というところまでやって始めて顧客を納得させる事が出来る」ということ。

    リーダーの顧客というのは「メンバー」だ、彼らを感動させずに貴方のミッションが成功する事はありえない。

    ・・・・・・まあ、仮に貴方がどうしても「顧客は顧客だ」と定義したければそれでも構わないが、メンバーを感動させられなくて、顧客を感動させる事ができますか?

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    http://blogos.com/article/77034/

    この記事を見て。

    ものすごく違和感があったので。


    まあ、でもなにか「悪い」事があったわけではないんだけどw


    『国とはなにか?』

    上の記事では「福祉を創るのは国である」と指摘しているが、その範囲が『行政機関』という意味にとどまっているように思える。

    それは私にとってはバリバリの違和感があった。

    というのは、こういうことをたとえば「なんとか省」がやったとすれば次に出てくる意見は

    『官は効率悪すぎ、民の力を活用すべし』

    という意見に決まっている。

    つまり、何かをするときに『官にやらせよう』という意見はいまどきちょっと……流行らない(?)w


    まあだから僕の意見としては『『国』は幾多の企業や個人で成り立っている。行政機関、企業、個人がある程度助け合って『福祉』を創る方が望ましいと思う。』という感じになりました。


    『国のあり方を決めているのは・・・』

    とはいえ、行政を『官では無理』という風潮にも確かに違和感を感じるわけです。

    んー、おかしいよね、税金払ってるのに『こいつらには任せられない』って。

    それなら、そもそも税金っていらなくないか?って思いますし。


    で『国』というものについて考えてみると。

    国家というのは『大きな枠組み』でやったほうが効率的なことをさせるために存在する機関で、たとえば『軍事』や『外交』などの「外政」、『立法』『警察』『司法』というような「内政」がその主な分野なわけです。

    問題はここに「どれくらいの事を盛り込むべきか?」という部分については議論が分かれているという事。

    たとえば「最低限の健康保障」をするための『健康保険』のような『(皆)保険』を入れるべきか否かで、

    日本は『当然』としているけど、
    米国なら『まだまだ試行錯誤(オバマケアの七転八倒は皆さんもニュースでよくお聞きかと思いますが)』、
    中国なら『そんなもんできるわけないじゃん』ってな具合なわけです。

    んー。


    『神経症な国』

    ま、結論を言ってしまえば『日本国はこうあるべき』というようなことではありません。

    考えた事は『国』というものが、どういうあり方をしているかというのは結局『国民』が決めているという事。

    『行政機関』が『非効率的すぎて、実質機能不全に陥っている』とすれば、その状況を直接作っているのはもちろん官僚なんだけど、実はその『官僚主義』が好きな日本人(国民)なんじゃないかと思ったわけですよ。

    大体ね、『誰からも文句の付けようのない完全な振る舞い』を要求するから『行政機関は非効率(=高コスト)』という事なんじゃないのかね?

    (ほら、工事でもステップごとに写真を撮って証拠を残してるでしょ?ああいう『完璧さ』を求めた『誰にも文句の付けようのない』振る舞いを私たちは実際として『要求』していると思いませんか?)


    そして少し考えてみれば、今の日本ではこういう具合の『層』で物事を解決しているんだと。

             主な構成要素      特徴
    A「完璧層」 行政機関・大企業    完璧主義、完璧な人材で、完璧なプロセス、完璧な結果を求める(求められる)。完璧を追求するため高コスト。

             主な構成要素      特徴
    B「普通層」   普通の企業      普通の常識範囲で行動をする、ただし常識にありがちな「偏向」も多く、自分の気にならない事は積極的にしないA型気質。コストはまあ普通。

             主な構成要素      特徴
    C「黒 層」  スジの企業・低調企業 『確信犯』企業で、あえてグレー(あるいはブラック)な行為を行う事で短期的利益を(一部の人が)得る事が目的の企業、とはいえベンチャーなどその利益を『事業価値の確立・向上』に差し込む過程にある企業もある。コストは安い。

    ※B=Cについては区分があいまい(低調企業は用意にC化する)



    で、日本人は出来については『完璧層』を要求しながら、コストは『普通層』でないとダダをこねているだけなんじゃないかと思ったわけです。

    なので『行政を民に委託』とか変なストーリーになってしまうんじゃないのかと思います。

    ただ、行政が「民間企業」に依頼した場合は単に『A完璧層』ならする事を省いているだけに決まってるんだから、実際には『パッケージだけ完璧』のサービスになってしまい『箱代の分だけ高くなったサービス』にしかならない気がします。


    『金の使い方を決める事が必要』

    ・・・・・・結局ローコストの『最高』や『完璧』なんてことはありえないんだから、どの『市民サービス』を『完璧層』に任せて、どの『市民サービス』なら『普通』で良いのか?・・・・・・という『全体デザイン』を一回やり直さないといけないんじゃないかと思います。

    いやいや、もしかしたら根本的に『各層』のあり方も自体から見直すべきなのかも知れませんが。

    sns_portlate2013

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    ブログネタ
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    ブラック企業の問題点は明らかで「効率が悪すぎる事」

    ブラック企業の問題は、労働から生まれる付加価値を「浪費」してしまうからいつまでたってもブラック企業であり続ける事だ。

    結果関係する人(顧客、投資家、労働者)を全員不幸にするのが大きな問題で、こういう企業はどの国でも存在するが、それは『必要悪』ではなくただの『非効率』だ。


    さて、高度成長期にはこういった企業は単純に『潰れた』のが事実である。
    (良く高度成長期には『公私混同が当たり前であったではないか』という安易な『擁護論』は間違いだ)

    当たり前ながら『需要』があれば、『労働』は全て集めれば集めるほど金を産む『金の卵』だ。

    こういった環境ではブラック企業は存在し得ない、なぜならばもっと条件のよい企業が現れてブラック企業を『労働市場』で干し上げてしまうからだ。

    競争は、かくも厳しい。

    有名な賭博マンガ『カイジ』でも極悪とされている『帝愛』の会長が『奴隷も団結すれば・・・』とわざわざカイジ(まあ読者)に言ってやるシーンもある、結局『王』の力というのは『人々』が付託しているのものに過ぎないのは、子供にでもわかる理屈だろう。


    現状でブラック企業が存在しえるのは、要は『不景気』と『不景気心理』の結果に過ぎない。

    ブラック企業は結局『弱った人間の心』から生まれる、経営者は『搾取(なに、実態は無能と怠惰、それから産まれる経営の非効率の事だ)』を肯定する。

    労働者は『未来への希望の無さ』を根拠にこれらの企業から離れるという選択ができない(クルーグマンがよく言うように、不況においての『リセッション』への個人の対応(転業、転職)は『暗闇でロープなしのダイブをするような』大きな『不安』を伴う)。

    こんなモノは肯定や擁護に値する物ではない、とはいえ単に非難してどうなるという物でもない。

    吠える犬も吠えれなくなった犬も、弱いという一点でおなじだからである。

    『若者はなぜウツになるのか?』への回答

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    『心的風景の変化』

    最も重要な変化は今の若年世代が、『日本企業に貢献すること』をもはや『よきこと』とはみなしていない事だ。

    社会に貢献するのは当然でも、それが「企業に属する事」で達成されるとは思っていない、単に属しても無意味だと考えているし、そもそもその組織が「有意義」かどうかにも懐疑的だ。


    『企業は善か?』

    もちろんこの問いは間違いで、企業は企業に過ぎない。
    『良い企業は社会に貢献する、悪い企業はしない』ただそれだけのことに過ぎない。

    これは道徳の問題ではない、その企業が提供するサービスが、適正な価格で、購入者の人生を『良く』するならそこの社長が銭ゲバでもかまわない、若者が喜んで奉仕するのはむしろこういう企業だろう。

    表面が悪くても、提供するサービス(製品)が人を幸せに・・・・・・たとえば、その製品を『5万円』で購入する事で、その人の自給で5万円分以上の時間を短縮できるサービスを提供していたとしたら、これは間違いなく『価値のあるサービス』であり、『社会に貢献』している、それが多くの人がやりたがらない事を短縮しての『5万円分の時間』であればよりそれは価値が高い。

    その時間で、人々は友人と語らう事も、親と旅行に行く事もできるはずだ。

    問題はこの逆である。


    『口先だけの善』

    問題は『口先だけの善』であろう。

    実行の伴わない虚飾はその発信者が心から信じていたとしても(私は自愛に満ちた神のような人間だ)、それは単なる詐欺に過ぎない。

    利益を上げられない企業はこれに当たる。
    しかも、利益を上げられない理由は難しい物ではない、多くの場合誰から見ても(特に内部の社員の一人一人誰から見ても)単に『非効率的過ぎる』からにすぎない。

    無駄な書類承認システム、非効率なコミュニケーションシステム、予定管理の仕組み・・・。

    多くの企業で「無料で」提供されているSNSと比較して合理的な社内システムを持っている企業はまれではないだろうか。

    若者たちが目の当たりにするのは自分たちの労働が、『ただのモノよりも不細工なシステムとシステムの間隙』に、あるいはある役職者と役職者の見栄や嫉妬という間隙に、ひどい場合には慣例と不誠実という間隙に飲み込まれていく状況である。

    前回のポストで上げたように、「無意味な労働」は「魂を殺す刑罰」である。
    なぜ若者がウツになるのか?

    理由は難しくない、事実を見れば明らかだ。
    それは既存企業が若者に「拷問」を与えているからである。

    『カイシャ』がなにものであれ、どんな不合理な物であれ、それどころか社会に害を与えていてさえ『よし』とする『忠義の人』にとってはこれは拷問にはならないだろう。
    しかし、それが良いかどうかはわからない。

    これが単に『若者の理想主義の愚』と笑っていられる状況はもう終わっている、『致命的な非効率』それを証明する根拠は佃煮にするほどあるが、わざわざ示す事はしない。

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     ドストエフスキーによれば「最も残酷な刑罰は無意味な労働を強いる事」、21世紀に入り『秋田書房』はこのシベリア流刑の経験のあるロシア人の想像を超える刑罰を『実践』してみせた「社会に対し悪と思われる事を仕事(ミッション)として強いる」という事だ。

     『お前の善悪の観念なんぞ、仕事なんだから殺して当たり前』という慣習によるのだろうか。

     もちろんこれ自体は今の日本では決して珍しい事ではないのかもしれない(それが良いという意味ではなくて、それが日本の『狂』を象徴している)、しかし内容のセコさ(景品の水増し?)と、その後の対応の醜さが際立っている。

     読者がこれに反発するのは、社会がするような型どおりの忌避感ではなく、『自分たちの同輩がこういう事象を強いられ(おそらく他同輩の多くもそういう事態にさらされている)、しかも最後に『バカモノ(おそらくこれぐらいの事でウツになってパフォーマンスが下がるような社員は不要というような評価を『正当視』する文化があるのだろう)』として処分されようとしているから』だ。

    ドストエフスキーが「無意味な労働」を「残酷」としたのは、肉体的な苦痛によってではなく、これらが『魂を殺す刑罰』だからだ。

    すばらしい作品と作家を持つこの伝統ある企業が、残忍な刑罰を実施する組織になり上がって(おそらく無茶をしのぐのが編集の誇りなのだろう、それを肯定し"正義"とまで考えると、こういう"正義の執行"に迷いを持たなくなってしまう)しまったことは残念だ。

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    まあ、細かいことは言いません。

    私がおススメするのは「1 割り下は水で半分に薄めなさい」そして、すき焼きの始まりには「2 野菜炒めを作りなさい」ということです。

    ちょっと面倒だけれど、十分に加熱したブ厚い鉄鍋で野菜炒めを作ると普通のフライパンでの炒め物とはまったく違った味になりますよ(ちょうど中華鍋で作った野菜炒めのようにおいしいのです)。

    野菜は「もやし」がおススメです。
    同じくらいの大きさ、形なのでいためるのが簡単です。

    京都ヨドバシ6F 但馬屋にて(定量ランチ 豚150g 750円)

    もっと詳しい情報が必要なら→ 【ランチのすき焼きレシピ】の続きを読む

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    無人戦闘機(無人戦闘機械=ドローン)について皆さんはどれくらいの事をご存知かわからないが、ここでは一般的な常識を再度確認することからはじめよう。

    -無人戦闘機の戦闘はリアル『バーチャロン』-
    バーチャロンというアーケードゲームをご存知だろうか?
    ゲームセンターに設置されている、実際にコックピットに乗り込むスタイルのロボット戦闘ゲームだ。

    無人戦闘機の戦闘はまさにアレである。
    無人戦闘機はネットワークによって、米国本土の基地内から操作される。
    もちろんコインは必要ない・・・これはかつての「湾岸戦争」以上の衝撃である。

    『戦争のゲーム化』という言葉をこれほどふさわしい兵器は存在しない。

    -無人戦闘機械は先進国に有利な『革命的兵器』-
    無人戦闘機械の最大のメリットは「人員デフレ」である。
    これはつまり、「人命デフレ」と言い換えても良い。

    無人機のリスクは「安価で高性能なこの機械がテロリストに渡れば…」という形で語られることが多いが、それは幻覚(あるいは意図して張られた煙幕)であろう。

    無人機の配備やその運用が確立すると、もっともトクをするのは先進国である。
    これまでは『人命の値段の違い(つまり自国民の兵士の経済的・政治的コストの違い)』が、障壁となっていたが、無人機での戦争が日常化するとその障壁は消滅してしまう。

    無人機での戦闘で失われるのは経済的コスト、つまりお金だけだ。
    ドローンが落とされても、パイロットは地球の裏側で「GAME OVER!」の表示を見るだけで済む事になる。

    現在アメリカで制式採用されているドローンが約7億円、中国の無人機が1億円と言われている。
    これは安価とは言えないが、3年前に数百機だったアメリカの無人機部隊が現在1万機を越す規模になっていることを見ればこの技術がいかに革新的で、安価であるかがわかるはずだ。

    この技術の進化は、19世紀のように先進国の優位性を絶対化する可能性がある。

    民族や国家が自らの意思を示しても、武力介入が『金』だけで済むのであれば、より大きな経済主体(それはもちろん先進国であろうし、あるいは巨大企業かもしれない、グローバル企業が傘下に民間軍事会社を持つことを止める法は無いだろう)には「生殺与奪」の権利を握られる未来が実現するかもしれない。

    (19世紀の当時は人命(人員)の経済的・政治的コストは現在ほど高くなかったため、実際の利益はそれほどでも無くても列強諸国は帝国主義をとり各地に介入を行った)


    ちなみにはじめにふれた『バーチャロン』でははじめにこういった設定がつけられていた。
    『プレーヤーはゲームをしているつもりでも、未来に実際に存在しているバーチャロイド(ロボット)を遠隔操縦しており、無自覚のまま戦場に投入されている』というもの、そしてこのコンソールを設置したのは『未来の巨大企業』となっていた。

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