本日のオススメ。

大阪府内、主に梅田の居酒屋さんの"本日のおすすめ"を紹介するブログです(黒板の画像は拡大したら値段まで読めるはず!)。季節感のあるブログを目指しますw SNSとかでお探しなら→CampSite mixi FB twitter

    カテゴリ:義巨の理屈

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    まあ、派閥争いについてはそれなりに知っていて、実際に一つに統合するのは「無理」とは思うが、イスラム国を認めてしまった方が良いところもあるな、という話。


    【適正な統治は文化に拠る】


    適正な「統治」を達成するにはその人々の持つ「文化」への配慮が欠かせない。

    現在ロシアにプーチンという「ツァーリ」が存在するのも、イギリスや日本はもう少し賢明に「王制」や「天皇制」を維持しているのも決して偶然ではない。

    アメリカはローマ型だが結局「有力門閥」が存在する(歴史が浅いので良くわからないだけだ)。

    政治というのはあるところでは「力」であるので(法という「律」を作り変えられるのが「政治」である)。

    「継続することによる力(権威)」はときに必要でさえある(議論が、ましてや投票が常に最適な答えを出すというのは「誤解」だ、僕自身緊急事態には天皇制に回帰する「緊急回避システム」を構想することもある)。


    日本にあった「企業による統治(終身雇用期の「雇用」はほぼ「統治単位」に等しかったと思う、なんせ「どの企業に属するか?」が「社会的信用」を意味したのだ)」もあの段階では間違いではなかったのかもしれない、と思う。


    話を戻すと、イスラム教徒が「カリフ制」を立てることが出来るならそれはきっと良い結果を生むだろう(テロ組織よりも、国家や共同体のような「持つ者」のほうがはるかに交渉しやすい)。

    時代がかっている?

    結局統治システムなんてギリシア時代にはほぼ完成していたようなものだ。
    現在の政治システムもそれらの『歴史的資産』を「取捨」や「バランス調整」をしているに過ぎない。

    繰り返しになるが君主制が間違っているというのは一種の錯覚だろう、利害入り乱れる100人で議論をするのと、素養のある1人の熟慮でどちらがマシかはわからない。

    現在まともな国ではバランスはともかく、この二つが並立しているのが普通だ(大統領制なんて最たるものだ)。


    日本は第二次大戦で「民主化」したと思われがちだが、むしろ第二次大戦前から「民主国家」だった。
    当時としては常識的な「選挙制度」を持っていたし、開戦を決定したのもほぼ「民主政治家」だ。


    アフガニスタンも別に「文明化」してもらわなくても「ロヤ・ジルガ(大会議)」というシステムを持っていた。
    それが運用できなくなったのはイギリスやロシアの介入の結果、地域が混乱したからだ。


    【彼らを『国家承認』をすると彼らの存在意義は大きく揺らぐ】


    そもそも彼らが武力行使を正当化できるのは、彼らを認めないからだ。

    イスラム系であれなんであれ過激派、テロ組織というのは根本的に「現状変更」をしないと実現できない大義があるから武力を行使する。

    これを単に「暴力、ゲリラ」と見做すのは『旧列強国』に都合の良すぎる解釈という見方がある、かつてアメリカの有力な軍事専門家のパウエル元参謀総長も「ゲリラは逆から見ればフリーダムファイターという事もある」と発言している。

    世界における「イスラム圏」の現在「正当」とされている国家が「欧米列強の紐付き」とみなされる事情も「歴史的にやむ得ない」と思われる(実態は必ずしもそうではないと思うが)。


    そういう意味では「イスラム圏で真のカリフを決定するならば」という条件でISも承認してしまえばいいのではないか(もちろん拒否される可能性は高いが、彼らの大義は毀損されるだろう)。


    現在のアラブ諸国も激怒するかもしれないが、カリフ(ムハンマドの後継者)ももともとは合議で選ばれていた(シーア派はその状況を「良し」とはしないと思うが、歴史的、そして現在の事実であることは認めるだろう)。


    彼らの「公正な伝統」を支持し、それを「カリフ」か「カリフの代行」と呼ぶかは別にして『正統』をつくる努力を進めるべきだろうと思う。

    そうすれば・・・7代先くらいにはなんとか収まりがつく方向に進んで行くかもしれない。


    ・・・まあ、これが今の段階で「実現性はほぼ無い」のは間違いが無いけれど。

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    ちょっと冗談のような話だが日本にはテロリストのサイバー部隊からすると最悪の「黒客」を持っているという話。

    まあ、「黒客」というと中国語における「ハッカー」だが日本における彼らは「テッキー」ではない。

    率直に言って「暇人」である。


    【悪夢における「ピンクの熊さん」のようなネット民の能力】


    実際のところ「テクノロジー」はテロリストになんら悪影響を与えない。

    石器にはじまり、電話、インターネットと彼らに利するものばかりである(まあ、普通「制限的」に使うものを彼らは「無制限」に使えるのだから当たり前である)。

    特に大きいのは「メディア全般」の特性で、結局のところ彼らは「事件」それも「大事件」を主に扱う。

    従って「メディア」が扱うものには、一定の「権威」が生まれる。

    しかも、現在はインターネットによって「当事者が」情報を発信できる。

    かつてのように「当局」が情報を制限してテロリスト=「血に飢えた悪魔」のような扱いにするのは難しくなっている。

    【宣伝戦に敗北する各国政府】


    現代のテロリズムはこの「環境」を活用し、テロリストを増産している。

    率直に信念を語り、現状の欺瞞とそれに対する怒りを語る事で各国政府の主張を…たとえば「なにが民主主義だ、所詮金持ちの道具ではないか」と語ることで「陳腐化」してきた。

    退屈でつまらない、しかも概ねハイソサエティの「政府」では、「世界を造り変え、真のイスラム的秩序の国家を構築しよう!」という『雄叫び』のほうが面白いに決まっている(このイスラム国、僕の考えでは「イスラム共同体」については他にも考えがあるが、今回はパス)。

    【テロリストも悪夢には叶わない】


    …が、だ。
    今回の一連の「クソコラグランプリ」騒ぎで判明したのは彼らにも苦手な物があるということだ。

    彼らは姿の見えない、しかも自分達よりも遥かに巨大なネットトラフィック(人数×一人当りがかける時間)に脅威を感じたはずだ。



    ISILにとって「ISIL」で検索した時にトップコンテンツ「クソコラ」が表示される事態は文字通り『悪夢』だろう(しかも彼らはグーグルに削除要求を出しにくい)。

    彼らは「ISIL」ブランドを育ててきた、『雄叫び』のブランド、イスラムの大義、冒険というストーリーでである。

    ここに『クソコラ』は受け入れがたい。

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    【打つ手がなかったISIL】


    彼らの選択肢は結局一つしかなかった、それは「無視」である。

    しかし、これは本質的に「なんの解決にもならない」手段である。

    日本のネット民が『まつり』始めたら止めようがない。


    大義に対する不信感、無駄な技術力、『祭』には参加する宗教的?習慣。

    冗談のような話だが、現在世界で対テロ宣伝戦に圧倒的な能力をもつのは日本だ。

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    【日本に未来は・・・?】


    念頭からどこを見ても悲観論が多いようだ、もちろん僕も楽観はしていないが、絶望もしていない。


    もちろん私はエコノミストやアナリスト、政治家や官僚のような指導者層、それどころかアマチュアのウォッチャーでさえない。

    情報は不足しているし、偏っているだろう。

    したがって判断の基準は『身体感覚に合っているか?』という「論理的に理解しうるか?」「現実に起こっている現象に矛盾しないか?」「自分の考える限り最善の努力で実現しうるか?」の三つを混合したものにすぎない。

    その限りにおいて、日本には絶望的な要素はないと思う。


    【大規模な組織は舵を切りにくい】


    それでも「楽観していない」のは日本が『大国』だからだ。

    大きな船ほど『舵を切りにくい』、現状は致命的ではないにしろ油断していたら「もう氷山は避けられない」フェーズに入ってしまうかもしれない(この20年を考えたら・・・「20年」は決して短くないが、それでも日本は問題を解決できずにいる)。

    とはいえ、物理的に必要なものが「ない」状態ではない。

    誰もが指摘するように日本の課題は『ソフトの弱さ』特に『ネットワーク機能の弱さ』だろう。


    日本国は「個々のユニット」はかなり強いが、共同作戦を取ることが出来ずにいるように見える。

    『技術』はある、「ドイツの戦車にしか無線機がついていない」という時代ではない。

    日本の各企業はかなりのレベルで「情報技術」を受け入れている。
    (ただし『ハコ』が主体である)


    【ソフトは「すぐに切り替えできる」】


    インターネットサービスで躍進する新興国を尻目に、日本の動きは見るからに鈍重だ。

    私たちはそれの『細部を日常的に目の当たりにする』のでなおの事、粗が目立つ。


    しかし、重工業を育成するのとは違い「インターネットサービス」というような『ソフト産業』や『活用』を実現するのは比較的容易である。

    ソ連軍はドイツ軍に習い『装甲機動戦術』を身に付けたし、アメリカ軍は空母による『アウトレンジ戦法』を瞬く間に身に付けた(『総力戦』を戦いながら、ほんの1年でこれらの『ソフト』はコピーされた)。


    日本はなかなか頭を切り替えられずに20年がたった。
    しかし今回はまだもう少し時間がありそうだ(太平洋戦争はわずか4年ほどで終結した)。

    確かに多大で、合理的にはしなくて良い低迷を続けたと思うけれど、20年待てた今回は『世代交代』で「ソフト革新」が起こるのではないかと僕自身は考えている。

    この機に社会の諸制度(政治や労働法など)も切り替えることが出来れば、未来はきっと暗くはないだろう。

    【『強い日本』に求められるのは「ハード」ではなく「柔軟さ」だ。】



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    今回の選挙結果を見て実のところ少し安堵した(もちろん油断こそ大敵だが)。

    大阪においては少なくとも『維新』の意義は明確に認識されたと思える。

    驚きは、むしろ他の地方でも孤立無援(これについては、後に禍根を残しかねないのできちんとリカバリーしてほしいが)の状況で一定の議席をとった事だ。

    『見ている人は見ている』という結果に見える。


    【自民+1が変わった】



    今回の大阪における選挙結果(小選挙区では敗退するも、比例区で12区を除いて復活)はつまり「2票目は維新」という『行動』の現れだ。

    各政党は口には出さないだろうが、この結果に衝撃を受けているに違いない(今日のニュースによると公明党は本部の意向で都構想の住民投票に合意するようだ)。

    選挙結果の分析なんてものは、結局曖昧なモノだが、そこに何かが現れるのは事実だ。

    今回のような「鮮烈」な結果は民意の現れとして受け取られるし、事実そうだろう。


    【まともな政策ホルダーとしての維新】



    政治のゲームが変わったのではないかとも希望的には思う、少なくとも『新しい勝ち方』が出てきたのは事実だ。

    きちんとした政策……ワンアイデアでいい、例えば地域行政の統合と効率化。「幕の内」的な全方向の調整は自民がやるのだから……を持ち、継続的な活動が可能であればリソースをある地域に集中させることで地盤を作ることが可能なことを維新は示した。

    全体を調整する機能としての自民と、解決すべき課題やアイデアを示す小政党が取引をしていく時代だ。



    ただ、このアイデアを実現するには制度や法律に段階がある事が必要に思う。

    普通の政策や施策は「過半数」で良しとするが、税制や政体(憲法)、あるいは国債発行額の増減など重要議案には「3分の2の賛成が必要」と定めてしまうことだ。

    重要議案を出す必要があるということは、なんらかのミスか博打を打つということだからその代償としてなんらかの改善を取引としてでも受け入れるというのは日本の政治状況に適しているように思える。


    ま、この辺はそれこそワンアイデアですが、今年はまずまず明るい終わり方できそうだ、皆さん良いお年を。

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    報道などを見ると「政権のモラルの無さ」を言い立てるような報道が続きそうですね。

    小渕の関連事務所でのデータが破壊されていたというリーク報道や(警察機関へのリークを批判的に見る人もこういう場合は騙され易くなるようです)、育児への『臨時給付』が今年は予定されていないことを「休止」と主張する報道(給付の「非効率性」を批判的に見る人もこういう場合騙され易くなります)など思わず嘆息がでます。


    これには理由が二つあります。
    まず一つ目「ある組織を悪」と決め付ける報道は必ず間違いですし(悪の組織なんてものはむしろファンタジー)、有害です。

    【『悪悪』放送の有害性】



    「政府不信」をあおって「全体が」得をする事はありません、詐欺師と詐欺師寸前のアフィリエイター(彼らを報道人と呼ぶことはしたくありませんし、本来的にはアフィリエイターと言うにも値しませんが)くらいでしょう。

    「政府不信」はどのような結果を生むでしょうか?
    もしあなたが高齢者なら「政府不信」という情報に基づいてどういう行動をとるでしょうか?


    社会における「不信」の蔓延は、「非効率」の温床です。

    たとえば企業は金融機関を「不信」すると、必要なときにお金を貸してくれないかもしれないと考え「内部留保」を置くようになります、内部留保はその企業の「価値創造手段」ではありません、ただし緊急事態には大概のものにすぐに変えることができるでしょう。

    設備や組織(人)が「筋肉」とすれば『内部留保』は「社会の脂肪」です。


    お年よりが「社会」と「政府」を不信すればどうなるか?それは簡単です。

    死ぬときまで「数千万円のお金をためたまま死ぬ」ということになります。
    結果、『脂肪に満ち溢れた社会』にもかかわらず景気回復は遅れます。


    【安倍政権の善意】



    もう一つ、これは皆さんの見解と大きな違いがあると思いますが私は「安倍政権」は「非常に善意的」と考えています。

    単に善意であると言うだけでなく、きちんとした「ビジョン」があるように見えます。

    さらに言えば「クレバー」で、「徹底」しています。


    私としては、安倍政権がすばらしい形で終わることを期待しています。

    それがいかなる理由であれ、このチャンスを逃すのは大きな損失ですし・・・・・・「善意の破綻」ほど恐ろしいものは無いというのが「ナチス(彼らは全体主義という社会主義政党です)」から「各種の原始共産主義政権」まで、20世紀のおよそ半分をかけて人類が学んだことだからです。

    私は不信しません、しかし必ずしも結果が善意によるとも思っていません。
    安倍政権が善意的過ぎないことを期待したいと思います。

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    安倍内閣にキャッチフレーズを付けるなら「神の手内閣」だ。

    「ポジティブサプライズ」異次元緩和1と2、消費税増税延期、このタイミングでの解散総選挙と「無いだろう」と思われる事をつないできた。


    【なんとなく禁じ手の『くうき』を無視】



    なんとなく「やってはいけない」ということが日本には多い。

    もちろん何かをある立場から「批難」したりネガティヴな表明をすることは悪い事ではない。

    しかし違法ではないのに特捜がゴリ押しで有罪にまで持っていくというところまで行くとその「倫理感」にそこまでの重きを置いてどうするのか?という疑問が生まれる。

    まあ『くうき』というものだが、日本の『くうき』は基本的に「現状維持!」という方向性を持っているのが問題になりがちだ。

    政治機構はおろか、家の鍋の置き場まで変えようとすると『なぜ変えないといけないのか?』と感情的にまでなって詰問を始める人は少なくない。

    安倍内閣はその意味では『くうき』を読んでいない。


    【『くうき』を作れるのはその場にいる人だけ】



    もちろん『くうき』という暗黙知は一種の知識の集積だが、ランチェスターの法則が「艦長が主張する勘や経験は嘘っぱちだった」と証明したように。

    その正しさは多くの場合「ある人間層の希望的観測をたぶんに含む」という性質から「間違っている」。


    安倍内閣の斬新な所は政治的な『くうき』ではなく、調査結果を読んでいるように思える。

    これは斬新なことだし、必要なことだ。

    しかも、おせっかいとも言えるが「苦い薬をオブラートに包んで飲ませよう」としている(これはリスクをとっているという意味でも「苦い薬」には違いない、失敗すれば代償は当然国民全体で取ることになる)。


    しかし、「まず景気回復、ついで財政再建」という方向性はまともだ。

    今までの「両方何とかできるのではないか?」という『二正面作戦(景気浮揚策を打ちながら、増税もする)』よりはるかにまともに思えるし、成功率も高く見える。


    【神の手内閣が必要という制度の問題】



    「景気(経済)が回復しないと日本はおしまいだ、そして景気浮揚策を打つには財源が必要だ・・・・・・可能なら歳出削減も実現したいし財政再建のための増税も必要だ」というような「矛盾していながらにしてすべて個々の要素は正しい」ことがまことしやかに語られ、まことしやかに実施されてきた。

    これを打破するために必要なことを安倍内閣は実施していると思う。


    平時には「禁じ手」といえる手法もいくつもとっているが、つまるところ「それが必要なこと」だったと思う。

    『共和政体では通常の制度をバイパスして「緊急事態」を打破する制度が不可欠だ』と述べたのは塩野七生だが、これは直感においても、現実においても正しいと思う。

    ただし問題は『内閣総理大臣』の役割はローマで言う『独裁官なのか?』という点には疑問が残る。

    私が「神の手」と名付ける気になった理由の半分はあの「見えざる神の手(マラドーナ)」を連想したからだ。


    これは制度の問題だ、「禁じ手無し」をやむなしとする状態の定義とその場合の役職を決めるべきだとは思う。

    例えば「投票率が50パーセントを下回った場合、5年間は一院制(参議院は解散)にして、天皇が拒否権を持つ」といった制度が必要だろう。

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    猫の機嫌が二秒でわかる早見表
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    こんな実用的な・・・・・・インフォグラフィックで「感動」したのは戦闘車両識別表以来!!
    shikibetu

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    ええと、あくまでも雑文なので、真剣に捕らえるのはやめてね。

    個人的な見解であり、直感的なアイデアなので。


    【習得の難しい「空手」と比較的簡単な「柔道」の違い】



    格闘技の中で空手は比較的習得が難しい格闘技であるように思う。

    歴史的必然性の中で「立ち技」そして「打撃中心」という技術体系であるからだ。
    競技として確立する上で本来存在する投げ技や関節技をスポイルしたことでこの傾向はより強まっている。

    打撃は、剣戟と同様ある意味で「相手の浮動的な動き」に左右される。
    もちろん「戦術的誘導(ツクリ)」は可能だが、相手がそれにかかるかどうかは非常に「浮動的」だ。


    柔道はそれに比較すると習得しやすいように思える。

    これは技術的に「簡単だ」とか「単純だ」というわけではなく、試合のやり方にある。

    型・技の術理が実際の試合の中でより長く、より多く感じられるように思うからだ。


    空手の試合では特に「ツクリ」が発揮されなくても勝ってしまうことも多いし、試合時間が3分でも接するのは「刹那」である。


    柔道では「捕手争い」はあり「裏技的な嫌がらせ」としての打撃はあっても基本的には常に『相手と接して』いる。
    常に相互の「ツクリ」とその先にある「術理」、また「相互作用する体の動き」を感じ続けているはずだ。

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    【組み合いの『濃さ』が重要】



    理想としての空手が「一撃必殺」であるというのは一つの事実で、試合でもその点を追及する形式が存在するのは正しい。

    いきなり組み付くのは警察官刺殺事件が多発した点からも実際問題危険(現在は対刃ベストが一般化)で、遠距離交戦で一定以上の実力を備えるのは実戦としては「必要不可欠」だし、もしもそれでケリがつくならそれ以上の理想的な状況は無い。

    ただし、「そこから先が無い」というのは困ったものでこれが空手(特に伝統派)に付きまとう「非実践性」のイメージにつながっている(まあとはいえ『一線を越えた人』なら十分な実践性も十分だと信じるが)。

    実際「型」には組合の距離での技術が多数含まれているのだし、柔道のように「組合の試合」も作るべきではないだろうか?

    投げるわけにはいかないにしろ、当たり負けせず、崩し、極めるという体の使い方はどちらにしろ必要な技術ではないかと思う。

    【カキエ:手の甲を合わせた状態で押し引き・投げ・立ち関節の組手】


    ん?何を書いてたんだっけ?

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    セブンイレブンの店内が綺麗にみえるのは、棚類の細部の作り込みや、伝統ある商品配置技術など理由はいくつかあるが、特に床のおかげだろう。
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    店内のあれだけ広い「面」はやはり店内の空気を決めている。

    例えば日本の街がつまんないのは、下がアスファルトで、上物もそれに合わせてガタガタだからだ、つまらない床は美的感覚への注意を失わせるのかもしれない。

    次に床が良いのはファミマで、白というのはちょっと落ち着かないが美しいとは言える。

    次にレジ、入り口の前の空間が「ひらけている」事が多いという事が挙げられる。

    あの「低い陳列冷凍庫」があることが多いので狭さを感じさせず、視界が通るので店内を見回すのも楽だ。

    逆はローソンで、床が汚く、棚が詰まっている。
    効率主義が行き過ぎていると思う(まあセブンイレブンと差別化しているのかもしれないが、どうせコンビニという形態自体がパクリなんだから気にすることはない)。

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    正直ジョブズに音楽が解ってる感はない。

    しかしiTunesは素晴らしい。

    RISMO(と、今も言うのかは知らないが)はダサい。

    音楽が解ってそうな人はきっともっとたくさんいるはずなのに。

    ジョブズ時代のアップル製品に流れる硬質さ、そして徹底した機能美、ミニマリズムはSFに出てくる「ドイツのツール」のようだった(2001年宇宙の旅に工具として出てきてもおかしくない)。

    スカリー氏はきっと親切で優れた人物だけど、6で4インチサイズを無くしたのはやりすぎだろう。

    ウォッチが当たれば、フォンは滅多に見ないから小さくてもかまわないんじゃない?(・ω・)ノ

    しかも、ジョブズ伝説発祥の地で発表会してんだぜ(・ω・)ノ


    んー、はじめに話を戻すとジョブズは「自分ができない事」への崇敬の念が本当の意味であって。
    だから単に自分の仕事を徹底している。

    他の人たちは「地続き」というか、なんとなく自分にも出来ると思ってるんじゃないかと思う。
    だから「解ってる感」を商品に反映してしまうのではないかと。


    なんにせよ、「デカイ画面」は確かに求められていると思うけど、カラーモニターつきのデカイ機械はどうしても「おもちゃ」っぽく見える。

    Kindleペーパーホワイトは、白黒モニターであることで一線を画しているような気がする。

    …酔ったな。

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    消費増税議論が高まってきたが「10%先送り」の効果はほとんど無いと思う。

    日本人の多くはすでにそれは「折り込み済み」で行動しており、「猶予期間」を置いたところで(とりあえず5から8にあげるときにすでに「駆け込み」はしてしまったので)大きな変化はないと思う。


    【政治的には公約優先で】



    『停滞』をさせるくらいなら、スジ論を押し通して10%を実現してしまえばいいだろう。
    「×0.08」よりも「×0.1」のほうが消費税の算出も楽になる(ほとんどの日本人はそういう感じのはずだ)。

    日本人の性質は健忘的なので「10なら10で!!」スッキリしてしまうだろう。
    第一消費税が20%の国に競争力が無いわけではない。


    上げないリスクは「メディアスクラム」でとにかく「停滞」している「公約破りだ」と大騒ぎするヒトが相当数出るだろうから、十分マイナスがある。

    それなら、約束は守って手にした「政治的資産」を活用して「セットで」緩和措置をうてばいい。
    自民党の『古典的な手』だが効果的だ。

    (さらに、政治的な資産がうまく活用され、歳出の再編まで進むことができればむしろ「正統的な」政治改革であるとも言える)

    時限的な減税などを組み合わせることで『原理上は』悪影響を相殺することは可能である。

    ただ、この「手」は繰り返し使われてきたが「増税延期」と同様一般に理解されずらく、「将来かならず悪く(緩和措置がなく)なる」という『将来は悪くなる』メッセージを発信してしまう。

    つまり政治的には正統で停滞よりははるかに良いが、『もやっと感』は「10%延期」と同じという事だ。


    【経済を考えるならサプライズ減税で】



    クルーグマン教授の提案は面白く「上げたのは気の迷いだった減税(8→5%)」を主張している。

    さすがに「気の迷いだった」とはいえないだろうが提案は経済的には凄く妥当なうえに、アベノミクスを特徴付ける「兵は詭道なり(異次元緩和とかサプライズでマインドを動かす)」を地で行く妙手だと思う。



    面白いのは「上げた分を下げる」だけでなんとなく『おおお!』とインパクトがある減税になることだ。

    時限だ何だとセコイ事は言わずに「結果を見たら悪かったので、政策を転換する」と明言すれば、「将来的にも上がらないの?」という期待感を持たせることもでき、すくなくとも多くの日本人は『ラッキー☆』という小さな喜びに浸れるだろう。

    「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」無茶な減税をしたら逆説的に歳出削減も進むかもしれない(そういう意味では『官僚のマインド』にもサプライズでダブルの効果があるかもしれない)。


    この「マインド」への働きかけがアベノミクスの特徴なのだから、この「上げると言ってたけど、状況の変化に対応して逆に下げます」という事を堂々と言い放てばむしろ国民は「ポジティブ」な印象を受けるはずだ。


    というのは日本のムラ的な意思決定は(それは大日本帝国軍から企業、ご家庭でも)こういうケースでは「誰もがなんとなく悪いとは知っているが、提案者の顔をつぶさないために玉虫色の決定(未決定)に・・・」という事ばかりだ。


    「結果を見れば間違っていたので逆にします」というのは「明示的に指導者が責任を認め、しかもやり方を正した」という意味で『サプライズ』がある。

    ・・・書いてて思った。悲しいけど、これって日本なのよね。

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    「地獄への道は善意で敷き詰められている」とはマキャベリの有名な言葉だが、まさにそうだと思う。

    朝日が「慰安婦問題を捏造し」「原発事故の調書について誤った報道をした」のもまさにそれだろう。


    日本のエリートはこの類の「傲慢の罪」を罪とも思わない精神性があるように思う。

    善意に基づいて分析を曲げる「善意」が『100年安心プラン』のような「ミスリード」を生むのだろう。


    「何もかも疑うべき」とは思わないが、「ネガティブなことは認めない・何も言わない」事が同じように『歪んだ態度』であることは間違いない。


    事実を曲げることは、たとえそれが「善意から」であっても「猛毒」であることは認識しなくてはならないと思う。

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    Apple Watch(i Watch)ついに出ましたね。

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    これはまさに「魔法の腕輪」、アメリカのディズニーランドでは導入済みの「マジックバンド」の『現実版』になるでしょう。
    マジックバンドは正式には「MyMagic+」というデバイスでディズニーランド内でのあらゆるサービスのチェックをタッチするだけでできるという『魔法の腕輪』です。

    多分クリスマスまでには「ディズニーランドでも使える!!」みたいな提携ができて。
    →すでにディズニーストアとは提携が進められています。

    「バンバン写真を撮られて」「ディズニーでこんなに便利に使えるなら外でも使えて良いんじゃない?」という空気ができる(→どの国でもエグゼグティブというのはアンテナが渋いけどなぜかアップルが旗を振ると動く・・・・・・いや何故かじゃないのよね、本当はみんなこういう『Magic』は実現したいと思ってるはずなんです)。

    「再来年の春くらいまでには各社が対応」、そしてその次の冬くらいには日本でも普通に使われるようになるのではないでしょうか(→例によって影で「おさいふケータイ」とかがホゾを噛むと・・・)。


    ついでといえばあれですが、ちょっとしたとき(時間を知りたいとか、さっき鳴った電話が誰からか?とか)にi Phoneを取り出す必要がなくなるのも悪くない機能ですし、デザインもグッと来ます(I/F込みでですが、時計会社にもコンピューター会社にもできない「感じ」があります)。

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    『もっともプライベートなデバイス』 パーソナライゼーションが可能で、しかもchic

    ・・・まあ、なんにせよ「ディズニーの魔法」を実現させる「appleの魔法」にはまだまだ期待できそうです。

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    タイトルが長えし、もうこれ以上書く必要のあることもなくなってしまいましたが、いまさら「グローバル化」にあこがれるヒトもいないでしょう。

    ただ「やらねばならない課題」として延々と論じ続けられているのも事実であります。

    ですから、ここらでケリをつけましょう。

    グローバル化とは「アメリカ的な経営手法の取り入れ」のことではありません。

    「グローバルな中でポジションを作る」ことです。


    【生産性は関係ない】



    実は生産性が悪くたって、かまわないのです。
    むしろ、生産性が世界のベスト3(例えばLED電球の製造)でも「ポジションがない」可能性はあります。

    フランスワインのシャトーが生産性を上げるために「機械化」されることがありません。
    そして「機械化」されないことが「付加価値」になっているのです。



    世界に売り込んでいける職人さん(個人・商店)は「グローバル」な存在ですし、さらにいえばそういう「グローバルな存在」に養ってもらえる「ローカル」はすでに「グローバルな存在」です。

    例えば「蒔絵」を作る職人さんに、漆や日本特有の画材を提供する業者は海外と直接つながっていなくとも「グローバル化」されています。


    【立場がなければ座るところを探せば良い】



    大日本帝国のように「同じ方向性」「同じ戦術」にこだわるのは・・・・・・「無理」というものです。

    環境も変わり、競合の選択も変わります。

    「なにを、いつ、どう変えるか?」「目標をどう修正するか?」つまり『方向性を変える』ことが重要なのです。

    大企業を分割して、細かく環境や組織を把握し競争力を生み出すのが『メンドウ』というのはわかりますが、もはや大づかみに決まったものを量産するという方向では日本に勝ち目はありません。


    これは日本が達成した「成果」であるともいえます。
    「水のように安く『生活必需品』を提供する」ことの正しさは完全に証明され、世界で実現されました。


    100均を見れば小売業さえその『理念』を達成してしまったことがよくわかります。


    すばらしい成果です、日本は間違いなく世界を変えました。


    問題は「次はどうするか?」です。



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    『イニシアティブ』とはリーダーシップの明確な現れで、非常に価値が高いと思う。

    基本的には賛成だ、だいたいのRPGでもWarGameでも『イニシアティブ』が取れないというのは悪いことでもある。

    ただし、『水を被る』というアクションは日本人に似つかわしくない。

    アメリカ人にはシックリ来るのは、彼らのパーティ文化に合致するからだろう。


    日本人の罰ゲームというのはどっちかというともっと暗くて、「ランドセルを次の電柱まで運ぶ」とか「みんなの焼きそばパンを買いにいく」とか、そういう方向がリアリティがあり、身体感覚もある。

    これは文化的には面白いし、アメリカンな発想からすると正しく日本的であろう(孫さんがやるのは絵的にもおもしろいだろう)。


    と、しかし日本人の発想からするとこれでもやや違和感を感じる。

    バカをやって、真面目な事もアピるという文化が無いからだ。
    2014-08-21-09-49-59


    さて、本題に入ろう。
    どうせやるなら「徹底して日本的で」あるべきだ、だからやるなら折り紙。

    そして「鶴」が良いのでは無いだろうか?

    回された人は鶴を一羽折ってその様子もムービーに上げて寄付もする。

    寄付が嫌なら1000羽折る。

    日本のほとんどの企業の社長が美しい折り鶴を折れるということ(出来るよね?)は色々な意味で「日本的」だし、素晴らしい「イニシアティブ」になるのでは無いだろうか?

    写真はWikipediaから頂きました、ありがとうございました。

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