本日のオススメ。

大阪府内、主に梅田の居酒屋さんの"本日のおすすめ"を紹介するブログです(黒板の画像は拡大したら値段まで読めるはず!)。季節感のあるブログを目指しますw SNSとかでお探しなら→CampSite mixi FB twitter

    カテゴリ:義巨の理屈

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    安倍内閣にキャッチフレーズを付けるなら「神の手内閣」だ。

    「ポジティブサプライズ」異次元緩和1と2、消費税増税延期、このタイミングでの解散総選挙と「無いだろう」と思われる事をつないできた。


    【なんとなく禁じ手の『くうき』を無視】



    なんとなく「やってはいけない」ということが日本には多い。

    もちろん何かをある立場から「批難」したりネガティヴな表明をすることは悪い事ではない。

    しかし違法ではないのに特捜がゴリ押しで有罪にまで持っていくというところまで行くとその「倫理感」にそこまでの重きを置いてどうするのか?という疑問が生まれる。

    まあ『くうき』というものだが、日本の『くうき』は基本的に「現状維持!」という方向性を持っているのが問題になりがちだ。

    政治機構はおろか、家の鍋の置き場まで変えようとすると『なぜ変えないといけないのか?』と感情的にまでなって詰問を始める人は少なくない。

    安倍内閣はその意味では『くうき』を読んでいない。


    【『くうき』を作れるのはその場にいる人だけ】



    もちろん『くうき』という暗黙知は一種の知識の集積だが、ランチェスターの法則が「艦長が主張する勘や経験は嘘っぱちだった」と証明したように。

    その正しさは多くの場合「ある人間層の希望的観測をたぶんに含む」という性質から「間違っている」。


    安倍内閣の斬新な所は政治的な『くうき』ではなく、調査結果を読んでいるように思える。

    これは斬新なことだし、必要なことだ。

    しかも、おせっかいとも言えるが「苦い薬をオブラートに包んで飲ませよう」としている(これはリスクをとっているという意味でも「苦い薬」には違いない、失敗すれば代償は当然国民全体で取ることになる)。


    しかし、「まず景気回復、ついで財政再建」という方向性はまともだ。

    今までの「両方何とかできるのではないか?」という『二正面作戦(景気浮揚策を打ちながら、増税もする)』よりはるかにまともに思えるし、成功率も高く見える。


    【神の手内閣が必要という制度の問題】



    「景気(経済)が回復しないと日本はおしまいだ、そして景気浮揚策を打つには財源が必要だ・・・・・・可能なら歳出削減も実現したいし財政再建のための増税も必要だ」というような「矛盾していながらにしてすべて個々の要素は正しい」ことがまことしやかに語られ、まことしやかに実施されてきた。

    これを打破するために必要なことを安倍内閣は実施していると思う。


    平時には「禁じ手」といえる手法もいくつもとっているが、つまるところ「それが必要なこと」だったと思う。

    『共和政体では通常の制度をバイパスして「緊急事態」を打破する制度が不可欠だ』と述べたのは塩野七生だが、これは直感においても、現実においても正しいと思う。

    ただし問題は『内閣総理大臣』の役割はローマで言う『独裁官なのか?』という点には疑問が残る。

    私が「神の手」と名付ける気になった理由の半分はあの「見えざる神の手(マラドーナ)」を連想したからだ。


    これは制度の問題だ、「禁じ手無し」をやむなしとする状態の定義とその場合の役職を決めるべきだとは思う。

    例えば「投票率が50パーセントを下回った場合、5年間は一院制(参議院は解散)にして、天皇が拒否権を持つ」といった制度が必要だろう。

    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    猫の機嫌が二秒でわかる早見表
    23911722


    こんな実用的な・・・・・・インフォグラフィックで「感動」したのは戦闘車両識別表以来!!
    shikibetu

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    ええと、あくまでも雑文なので、真剣に捕らえるのはやめてね。

    個人的な見解であり、直感的なアイデアなので。


    【習得の難しい「空手」と比較的簡単な「柔道」の違い】



    格闘技の中で空手は比較的習得が難しい格闘技であるように思う。

    歴史的必然性の中で「立ち技」そして「打撃中心」という技術体系であるからだ。
    競技として確立する上で本来存在する投げ技や関節技をスポイルしたことでこの傾向はより強まっている。

    打撃は、剣戟と同様ある意味で「相手の浮動的な動き」に左右される。
    もちろん「戦術的誘導(ツクリ)」は可能だが、相手がそれにかかるかどうかは非常に「浮動的」だ。


    柔道はそれに比較すると習得しやすいように思える。

    これは技術的に「簡単だ」とか「単純だ」というわけではなく、試合のやり方にある。

    型・技の術理が実際の試合の中でより長く、より多く感じられるように思うからだ。


    空手の試合では特に「ツクリ」が発揮されなくても勝ってしまうことも多いし、試合時間が3分でも接するのは「刹那」である。


    柔道では「捕手争い」はあり「裏技的な嫌がらせ」としての打撃はあっても基本的には常に『相手と接して』いる。
    常に相互の「ツクリ」とその先にある「術理」、また「相互作用する体の動き」を感じ続けているはずだ。

    14



    【組み合いの『濃さ』が重要】



    理想としての空手が「一撃必殺」であるというのは一つの事実で、試合でもその点を追及する形式が存在するのは正しい。

    いきなり組み付くのは警察官刺殺事件が多発した点からも実際問題危険(現在は対刃ベストが一般化)で、遠距離交戦で一定以上の実力を備えるのは実戦としては「必要不可欠」だし、もしもそれでケリがつくならそれ以上の理想的な状況は無い。

    ただし、「そこから先が無い」というのは困ったものでこれが空手(特に伝統派)に付きまとう「非実践性」のイメージにつながっている(まあとはいえ『一線を越えた人』なら十分な実践性も十分だと信じるが)。

    実際「型」には組合の距離での技術が多数含まれているのだし、柔道のように「組合の試合」も作るべきではないだろうか?

    投げるわけにはいかないにしろ、当たり負けせず、崩し、極めるという体の使い方はどちらにしろ必要な技術ではないかと思う。

    【カキエ:手の甲を合わせた状態で押し引き・投げ・立ち関節の組手】


    ん?何を書いてたんだっけ?

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    セブンイレブンの店内が綺麗にみえるのは、棚類の細部の作り込みや、伝統ある商品配置技術など理由はいくつかあるが、特に床のおかげだろう。
    2014-10-04-09-28-25


    店内のあれだけ広い「面」はやはり店内の空気を決めている。

    例えば日本の街がつまんないのは、下がアスファルトで、上物もそれに合わせてガタガタだからだ、つまらない床は美的感覚への注意を失わせるのかもしれない。

    次に床が良いのはファミマで、白というのはちょっと落ち着かないが美しいとは言える。

    次にレジ、入り口の前の空間が「ひらけている」事が多いという事が挙げられる。

    あの「低い陳列冷凍庫」があることが多いので狭さを感じさせず、視界が通るので店内を見回すのも楽だ。

    逆はローソンで、床が汚く、棚が詰まっている。
    効率主義が行き過ぎていると思う(まあセブンイレブンと差別化しているのかもしれないが、どうせコンビニという形態自体がパクリなんだから気にすることはない)。

    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    正直ジョブズに音楽が解ってる感はない。

    しかしiTunesは素晴らしい。

    RISMO(と、今も言うのかは知らないが)はダサい。

    音楽が解ってそうな人はきっともっとたくさんいるはずなのに。

    ジョブズ時代のアップル製品に流れる硬質さ、そして徹底した機能美、ミニマリズムはSFに出てくる「ドイツのツール」のようだった(2001年宇宙の旅に工具として出てきてもおかしくない)。

    スカリー氏はきっと親切で優れた人物だけど、6で4インチサイズを無くしたのはやりすぎだろう。

    ウォッチが当たれば、フォンは滅多に見ないから小さくてもかまわないんじゃない?(・ω・)ノ

    しかも、ジョブズ伝説発祥の地で発表会してんだぜ(・ω・)ノ


    んー、はじめに話を戻すとジョブズは「自分ができない事」への崇敬の念が本当の意味であって。
    だから単に自分の仕事を徹底している。

    他の人たちは「地続き」というか、なんとなく自分にも出来ると思ってるんじゃないかと思う。
    だから「解ってる感」を商品に反映してしまうのではないかと。


    なんにせよ、「デカイ画面」は確かに求められていると思うけど、カラーモニターつきのデカイ機械はどうしても「おもちゃ」っぽく見える。

    Kindleペーパーホワイトは、白黒モニターであることで一線を画しているような気がする。

    …酔ったな。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    消費増税議論が高まってきたが「10%先送り」の効果はほとんど無いと思う。

    日本人の多くはすでにそれは「折り込み済み」で行動しており、「猶予期間」を置いたところで(とりあえず5から8にあげるときにすでに「駆け込み」はしてしまったので)大きな変化はないと思う。


    【政治的には公約優先で】



    『停滞』をさせるくらいなら、スジ論を押し通して10%を実現してしまえばいいだろう。
    「×0.08」よりも「×0.1」のほうが消費税の算出も楽になる(ほとんどの日本人はそういう感じのはずだ)。

    日本人の性質は健忘的なので「10なら10で!!」スッキリしてしまうだろう。
    第一消費税が20%の国に競争力が無いわけではない。


    上げないリスクは「メディアスクラム」でとにかく「停滞」している「公約破りだ」と大騒ぎするヒトが相当数出るだろうから、十分マイナスがある。

    それなら、約束は守って手にした「政治的資産」を活用して「セットで」緩和措置をうてばいい。
    自民党の『古典的な手』だが効果的だ。

    (さらに、政治的な資産がうまく活用され、歳出の再編まで進むことができればむしろ「正統的な」政治改革であるとも言える)

    時限的な減税などを組み合わせることで『原理上は』悪影響を相殺することは可能である。

    ただ、この「手」は繰り返し使われてきたが「増税延期」と同様一般に理解されずらく、「将来かならず悪く(緩和措置がなく)なる」という『将来は悪くなる』メッセージを発信してしまう。

    つまり政治的には正統で停滞よりははるかに良いが、『もやっと感』は「10%延期」と同じという事だ。


    【経済を考えるならサプライズ減税で】



    クルーグマン教授の提案は面白く「上げたのは気の迷いだった減税(8→5%)」を主張している。

    さすがに「気の迷いだった」とはいえないだろうが提案は経済的には凄く妥当なうえに、アベノミクスを特徴付ける「兵は詭道なり(異次元緩和とかサプライズでマインドを動かす)」を地で行く妙手だと思う。



    面白いのは「上げた分を下げる」だけでなんとなく『おおお!』とインパクトがある減税になることだ。

    時限だ何だとセコイ事は言わずに「結果を見たら悪かったので、政策を転換する」と明言すれば、「将来的にも上がらないの?」という期待感を持たせることもでき、すくなくとも多くの日本人は『ラッキー☆』という小さな喜びに浸れるだろう。

    「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」無茶な減税をしたら逆説的に歳出削減も進むかもしれない(そういう意味では『官僚のマインド』にもサプライズでダブルの効果があるかもしれない)。


    この「マインド」への働きかけがアベノミクスの特徴なのだから、この「上げると言ってたけど、状況の変化に対応して逆に下げます」という事を堂々と言い放てばむしろ国民は「ポジティブ」な印象を受けるはずだ。


    というのは日本のムラ的な意思決定は(それは大日本帝国軍から企業、ご家庭でも)こういうケースでは「誰もがなんとなく悪いとは知っているが、提案者の顔をつぶさないために玉虫色の決定(未決定)に・・・」という事ばかりだ。


    「結果を見れば間違っていたので逆にします」というのは「明示的に指導者が責任を認め、しかもやり方を正した」という意味で『サプライズ』がある。

    ・・・書いてて思った。悲しいけど、これって日本なのよね。

    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    「地獄への道は善意で敷き詰められている」とはマキャベリの有名な言葉だが、まさにそうだと思う。

    朝日が「慰安婦問題を捏造し」「原発事故の調書について誤った報道をした」のもまさにそれだろう。


    日本のエリートはこの類の「傲慢の罪」を罪とも思わない精神性があるように思う。

    善意に基づいて分析を曲げる「善意」が『100年安心プラン』のような「ミスリード」を生むのだろう。


    「何もかも疑うべき」とは思わないが、「ネガティブなことは認めない・何も言わない」事が同じように『歪んだ態度』であることは間違いない。


    事実を曲げることは、たとえそれが「善意から」であっても「猛毒」であることは認識しなくてはならないと思う。

    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    Apple Watch(i Watch)ついに出ましたね。

    aw001_s


    これはまさに「魔法の腕輪」、アメリカのディズニーランドでは導入済みの「マジックバンド」の『現実版』になるでしょう。
    マジックバンドは正式には「MyMagic+」というデバイスでディズニーランド内でのあらゆるサービスのチェックをタッチするだけでできるという『魔法の腕輪』です。

    多分クリスマスまでには「ディズニーランドでも使える!!」みたいな提携ができて。
    →すでにディズニーストアとは提携が進められています。

    「バンバン写真を撮られて」「ディズニーでこんなに便利に使えるなら外でも使えて良いんじゃない?」という空気ができる(→どの国でもエグゼグティブというのはアンテナが渋いけどなぜかアップルが旗を振ると動く・・・・・・いや何故かじゃないのよね、本当はみんなこういう『Magic』は実現したいと思ってるはずなんです)。

    「再来年の春くらいまでには各社が対応」、そしてその次の冬くらいには日本でも普通に使われるようになるのではないでしょうか(→例によって影で「おさいふケータイ」とかがホゾを噛むと・・・)。


    ついでといえばあれですが、ちょっとしたとき(時間を知りたいとか、さっき鳴った電話が誰からか?とか)にi Phoneを取り出す必要がなくなるのも悪くない機能ですし、デザインもグッと来ます(I/F込みでですが、時計会社にもコンピューター会社にもできない「感じ」があります)。

    aw_v

    『もっともプライベートなデバイス』 パーソナライゼーションが可能で、しかもchic

    ・・・まあ、なんにせよ「ディズニーの魔法」を実現させる「appleの魔法」にはまだまだ期待できそうです。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    タイトルが長えし、もうこれ以上書く必要のあることもなくなってしまいましたが、いまさら「グローバル化」にあこがれるヒトもいないでしょう。

    ただ「やらねばならない課題」として延々と論じ続けられているのも事実であります。

    ですから、ここらでケリをつけましょう。

    グローバル化とは「アメリカ的な経営手法の取り入れ」のことではありません。

    「グローバルな中でポジションを作る」ことです。


    【生産性は関係ない】



    実は生産性が悪くたって、かまわないのです。
    むしろ、生産性が世界のベスト3(例えばLED電球の製造)でも「ポジションがない」可能性はあります。

    フランスワインのシャトーが生産性を上げるために「機械化」されることがありません。
    そして「機械化」されないことが「付加価値」になっているのです。



    世界に売り込んでいける職人さん(個人・商店)は「グローバル」な存在ですし、さらにいえばそういう「グローバルな存在」に養ってもらえる「ローカル」はすでに「グローバルな存在」です。

    例えば「蒔絵」を作る職人さんに、漆や日本特有の画材を提供する業者は海外と直接つながっていなくとも「グローバル化」されています。


    【立場がなければ座るところを探せば良い】



    大日本帝国のように「同じ方向性」「同じ戦術」にこだわるのは・・・・・・「無理」というものです。

    環境も変わり、競合の選択も変わります。

    「なにを、いつ、どう変えるか?」「目標をどう修正するか?」つまり『方向性を変える』ことが重要なのです。

    大企業を分割して、細かく環境や組織を把握し競争力を生み出すのが『メンドウ』というのはわかりますが、もはや大づかみに決まったものを量産するという方向では日本に勝ち目はありません。


    これは日本が達成した「成果」であるともいえます。
    「水のように安く『生活必需品』を提供する」ことの正しさは完全に証明され、世界で実現されました。


    100均を見れば小売業さえその『理念』を達成してしまったことがよくわかります。


    すばらしい成果です、日本は間違いなく世界を変えました。


    問題は「次はどうするか?」です。



    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    『イニシアティブ』とはリーダーシップの明確な現れで、非常に価値が高いと思う。

    基本的には賛成だ、だいたいのRPGでもWarGameでも『イニシアティブ』が取れないというのは悪いことでもある。

    ただし、『水を被る』というアクションは日本人に似つかわしくない。

    アメリカ人にはシックリ来るのは、彼らのパーティ文化に合致するからだろう。


    日本人の罰ゲームというのはどっちかというともっと暗くて、「ランドセルを次の電柱まで運ぶ」とか「みんなの焼きそばパンを買いにいく」とか、そういう方向がリアリティがあり、身体感覚もある。

    これは文化的には面白いし、アメリカンな発想からすると正しく日本的であろう(孫さんがやるのは絵的にもおもしろいだろう)。


    と、しかし日本人の発想からするとこれでもやや違和感を感じる。

    バカをやって、真面目な事もアピるという文化が無いからだ。
    2014-08-21-09-49-59


    さて、本題に入ろう。
    どうせやるなら「徹底して日本的で」あるべきだ、だからやるなら折り紙。

    そして「鶴」が良いのでは無いだろうか?

    回された人は鶴を一羽折ってその様子もムービーに上げて寄付もする。

    寄付が嫌なら1000羽折る。

    日本のほとんどの企業の社長が美しい折り鶴を折れるということ(出来るよね?)は色々な意味で「日本的」だし、素晴らしい「イニシアティブ」になるのでは無いだろうか?

    写真はWikipediaから頂きました、ありがとうございました。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    「挑戦するものが勝利する」



    選挙活動について、既存政党(残念ながら維新の会もここに入れるしかない)は新勢力に学ぶべきだ。

    それは「党員」が裁量を持って発言する体制であるかどうか?が大きな効率上の差を生んでいるという事実だ。


    テレビは強大だが・・・



    テレビは「話題づくり」には強力だが、結局「信頼」させるのは個人の言葉だ。

    もちろん党首も積極的に発言すべきだが、党員の思い(や、紡がれる多様な言葉)を活かさないのはもったいない。

    制御をどうするのか?という考えはあるかもしれないが、党員にブログ(等)を始めさせて、それを公的に認める動きが必要なのではないだろうか?


    ブログ間の相互作用が生まれたらマスメディアになる



    個々のブログの影響力はビビたるものだろう(このブログもせいぜい1日30人程度が見ているだけだ)、しかしl「大阪維新の会のブログネットワーク」が確立すればその意味は少し変わってくる。


    小さなブログは"隣人"が読む



    マイクロブログは単体では"小さすぎる"が、それがつかんでいる読者はプライムな顧客である。

    重要なのは、これらに対してきっちりフォローすることだ。
    例えば党首がわざわざコメントをするとかそういうことだ。

    党員以外の人も興味を引かれるような「話」が、「隣人」の読者を増やすだろう。


    率直なメディアは常識を保つ



    テレビや、既存のWEBの発言者(あるいは読者)というような「遠くて大きくて形式主義的な」ものだけから意見を取るというのは危険でもある。

    率直な隣人の言葉が発される(ということは、聞くことが出来る)事は、バランス感覚を保つ上でも重要だ。

    ブログをまとめる(ピックする)サービスは次々にリリースされている、技術的にも運用的にも「今」のサービスだ。

    発言するべき価値のある主張がある政党は、それぞれがこういうメディアを持つべきだ。

    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    まあ、残念ではあるが、必然的な事。

    大阪維新の会という地域政党からすれば、憲法は比較的どうでもいい。

    太陽の党はタカを目指す党なので、憲法、軍事、核開発が大義。

    とはいえ、上流と下流、内政と外政は繋がっている上手く行けば何処かで出会い、上手くいかなければ日本は破滅だろう。

    変わらないとと言いながら、変えれないままの国が問題なのは知れたことだ。
    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    (実は巨大産業になっている自転車旅行(2012年440億ユーロ)を読んで

    中曽根あたりがはじめた「受益者負担」という悪しき「多重課税構造(マインド?)」から始まった不思議な道路行政

    駐輪場の有料化や、不可思議な税制(利用料を「委託した独占業者に任せる」というのは作文に過ぎない)をそろそろ終わりにしなくてはならないと思う。


    【道路の受益者とはだれか?】


    税制が複雑化して良い事はないし。

    道路・高速道路の「受益者」を「運転者だけ」とするのは無茶というものだ(道路でモノが効率的に配送されることのメリットを受けていない人は居ない、第一道路を作るアスファルトだって道路を通ってやってくるのだ)。


    【インフラ整備して「違反」という概念を無くせ】


    自転車も同じく、駐輪場を有料化しても【シルバー人材向けのアルバイト】が多少生まれるだけで、社会には何の益も無い(駐輪場の運営費、そして相変わらずの自転車回収の膨大なコストが浪費されるだけだ)。

    繰り返していうようにそんなコストを払うなら、歩道の隅に白線を引いて「無料駐輪場」にしてしまえば良いだけだ。
    『違反製造法』が無効になれば、「取締りコスト」も無くなるからだ。

    その上でもルール違反がいれば警官がカギをかけていくことにすればいい。
    警察に出頭して、罰金を払えばカギははずされる、車止めと同じ事だ。

    都心部などでは放置される自転車は年に2回ほどスクリーニングしなくてはなら無いだろうが、これくらいなら今とはかかる予算が比較にならないはずだ。


    【安全でフレキシブルな道路を】


    道路の走行面ももっとシンプルな整備が求められる、歩道を『段を上げ』るのはやめたほうが良いし、枯れかけた木を狭い歩道に点々と植えるのはもっと良くない。

    道路ではまず安全な通行が優先されるはずだ(それに段を作る工賃も、街路樹整備費も無くせる)。


    平らな面に障害物を「打ち込む」形であれば、交通状況に応じて道路の幅を調整するのも容易なはずだ。


    【自転車旅行はいまや一大産業】


    自転車での『旅』はいまや一大産業だ、2012年の欧州の資産では440億ユーロ(約6兆円)しかも、これには『自転車代』は入っていない。

    こういうムーブメントは誰かが宣伝費を使う必要も無く勝手に浸透してくる。

    日本で盛り上がらないとすれば「発展途上国以下の不快な道路状況」が邪魔をする場合に限られる。

    自転車旅行は様々な意味で優れていて、環境負荷は少なく、健康に(自動車などの排気ガスが蔓延する都市部を除けば)良い。

    ツーリストは「何の投資もされていないような」場所を好んで走り、エンジンを積んでいる車やオートバイとはちがい、その地域で消費(宿泊)をする。

    目の前を走っていく車は、その地域の商店にとって顧客かどうかは限りなく怪しいが、自転車であれば遥かに有望な顧客候補なのだ(車と違って看板が面白ければ立ち止まる可能性もはるかに高い、写真しかとらなくても、それが宣伝になれば顧客が誘引される可能性はある)。


    【なぜ車を最優先にせねばならないのか?】


    車優先は特に産業の上で必要であるが、全てにおいて最優先である必要は無い。

    そのために必要なのは「区分け」だ。

    歩行道路と幹線道路(産業道路)は明確に区分けし、歩行道路(地域道路)は歩行者・自転車を最優先にした作りに変えるべきだ。

    都市間の物資輸送などの道路は自動車優先で整備すれば良いが、都市内では空間は「抜け道」として走りこんでくる車に便宜を図るより、歩行者に便宜を図り、土地を露天商などに貸し出せばより大きな収益が期待できるはずだ。


    求められるのは、社会全体で最善の配分のはずだ。時代遅れで曲がったモノサシに固持するのはやめにしよう。



    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    【セリグマンの犬】


    学習性無力感を作り出した有名な実験を皆さんご存知だろうか?

    まあ、三行で説明すると。

    ・脱出しようとすると電気ショックを与える檻に犬を居れる

    ・何度も脱出に失敗させる(電気ショックを与える)

    ・檻の垣根を低くし、電気が流れていない檻に犬を移すと・・・?


    というセリグマンという学者が行った実験の結果だ。

    答えは『脱出可能な檻からでも犬は脱出しなくなる』である。


    繰り返して痛みを与えられた生き物は、トライする気を失ってしまうという事だ。

    これは当たり前で、痛みを無視すれば死ぬかもしれない、それを避けるようになるのは正常な『学習』である。

    もちろん、これは必ずしも良いこととは限らないが(顔にトゲが刺さると猛獣でも餌が食べられないので餓死してしまうという、『普通の反応』が『正しい』とは限らない)。


    【人間だって生き物】


    現実に我々は目の前の課題に向き合うと事を無意識に避けているのではないか?

    目の前の迂遠な問題(ただし痛みは無いにしろ生産性を上げるためには改善しなくてはならないような事柄)にも気づかず、また何らかの提案が行われても「それはできない、なぜなら・・・・・・」と解説するマインドは異常におもえる。

    こういった人と議論をすると結局のところ「変えることの困難さ(変化を実行する事の痛み)」で『セリグマンの犬』になってしまっている感がひしひしと伝わってくる。


    今の日本を見れば将来に希望が持てず、それによって引き起こされる「うつ」や「犯罪」、「集団ヒステリー」がぞくぞくと現れている、日本に立ち込める『ケガレ(気枯れ)』が顕在してしまっている。

    見ればわかるだろう、異常な事態だ、それにはいずれ慣れるにしろ、そのときにはもっと悲惨な事件が起こる。


    しかし、それでも私たちは変えない。


    【変わるべきは「誰か」ではない】


    先日BLOGSのコメント欄で延々とした意見の応酬になったが、私の立場としては「もう変われる」というのが実感である。

    かれ(ら)の主張は『体制や法律、フレームワークのチェンジが無ければ変化は起こらない』であった。


    私も政治体制については同意しよう日本の民主主義は現状にはそぐっていない。

    しかしその枠が単に「税制」にまつわる程度の事(所得分配の比率変更)であれば答えはNoである。

    というか今の政治制度でそれをいじれるはずが無い、問題の解決は老年層の安楽死か、政治体制の変化によってしかなされないと思う、そして体制を変えるのはクーデターくらいしか見込みは無い。

    その点、老年層が無事天寿を全うすれば問題は解決する、その頃には問題は『回避せざるをえなくなっている』だろうし。


    しかし、こと経済にまつわること、企業活動にまつわることでは日本は『もう変われる状態にある』はずだ。

    そして多くの人たちが絶望し、嘆いているのは、単に賃金の安さ、年金の崩壊についてだろうか?

    それとも、仕事全般、生活全般にまつわる事だろうか?


    【社長がうつにならない理由】


    社長と社員、どう考えても気楽なのは社員である。

    しかし、その上で社長(含むエグゼクティブ)がうつになる事はマレだ(アメリカの統計ではさらに寿命も10年以上長い)。

    答えはいろいろと考えられている、大きな理由は「金の力」である。
    良い医療を受けられ、良い生活が出来る。これはもちろん否定できない。

    そして、その次に上げられるのは「自己決定できる」ことだ。

    これは「大きな金」を持っている事も関係あるかもしれないが、最悪はイヤなら「No」という事ができ、「変えろ(変える)」という事もできる。


    辞めれる、変えれるという事は、つまり『自由がある』ということだ。


    【変えちゃえばいい】


    さて、翻って私たちの日常を見よう。

    『変えれない』『変える必要は無い』『変えたくない』と「それはできない、なぜなら・・・・・・」を繰り返してはいないだろうか?

    そもそも提案自体が起きていないのではないだろうか?

    ない?そんなもの(変えなくてはいけない非効率は)ありえない?

    しかしよく考えてみれば『日本ぐらい(ホワイトカラーの)生産性の低い国』で、特に誰でも0って事はないでしょう『事務処理関連』の事柄について改善の余地が無いなんてちょっとありえない話なのだけれど・・・。


    日本の良さは私が説明する必要が無いくらい明らかだが、ホワイトカラーの生産性が世界でもサイアク(過剰な表現)である事も私が説明する必要が無いくらい明らかだ、統計もいくらでも出てくるし、有名な先生方の論説もたくさん見つかるはずだ。


    私が思うのは少なくともこういうことは「変えちゃっていい」事だということ。

    複雑すぎて何のために書いてるのかわかんない紙は0(目的)から作り直さないといけないし、似たような紙を(紙!!!)2枚も3枚も書くって事は、似たような処理をする仕組み(システム)が重複してるって事だ、これを見て「ふつー」と思う事が『セリグマンの犬』という事ではないだろうか?

    『変えていい』という事が社会に蔓延するだけで、社会は効率的になり(当然『埋蔵金(サンクコスト分のお金)』もそこから出てくるはずだ)、明るくなると私は思う。

    少なくとも早く家に帰り、家族と語らい、どうしてもお金がほしければ『まつ家』でバイトをすることだって出来る。
    『自由』というのはそれだけの価値があるものだ。
    952203c6.jpg

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    http://blogos.com/article/86868/

    この記事で池田さんが書いていることはまったくもっともだが、現実世界でよく言われることは「それ(理屈)だけでは世の中動かない」である。

    これはまさに『幼稚なこと』だ。

    『幼稚な国』



    しかし、この幼稚さは実際問題日本を覆いつくしている。

    明らかに破綻した企業が生存しつづけたり。

    (すき家大量閉鎖でおなじみのゼンショーなんて、株式価値を利益で割ると135年。
    逆に言えば株を持っていて得られる利益というのは1年で株価の135分の1である、それくらいの「超高リスク」が延々と続いていても今のところ株価は維持されている、この株価と実態の差をいつか「牛丼屋」が埋められると誰か信じているのだろうか?)

    警察は必要とあれば「別件逮捕」で逮捕拘留して、自白で『有罪を取る』

    企業は本音と建前と称して『違法行為』を続け

    そう、そしてなによりも明らかに理屈では終わってしまった人が言い出すのは冒頭のような(それがどう見ても理屈だけの話であっても)「それ(理屈)だけでは世の中動かない」である、目の前の問題は解決されず、徒労とリスクが積み上げられる。


    原発の問題も結局そういうことではないだろうか。

    今回は大飯原発3.4号の再稼動についての裁判だが、これは『別件有罪』であろう。
    つまり裁判所も『原子力発電を商う人たちは信頼できない』という事を認めたということだ。

    (池田氏の指摘のとおり、あの判決だと一軒家はともかく、ほとんどの高層ビルは建てられない)

    私は池田氏の意見も支持するが、裁判の結果も支持したい。

    残念ながら原発を今の日本人が『民営』でやるのは無理がある。
    池田氏のオフィスやその周辺の人々は違うのだと思うが、実際今の日本企業のほとんどはコンプライアンスが「死んでいる」と私は思う。

    これは軽視しているとか、悪意があるとかではない。
    徒労とリスクが積み上げられそれを改善しないことで日本企業は常に「生産性無き」繁忙状態にある。

    そして、その環境下でさらに「安全対策」「コンプライアンス」といった体制を実施することが困難だからだ(そう、その体制にも「生産性無き繁忙」システムが組み込まれている)。

    さて、それではあなたが目の前に「電気供給」「安全対策」「コンプライアンス」が積み上げられてまともには出来ないとなればどれを優先するか?


    答えはあなたにお任せするが、「本音と建前の国」は幼稚な国であると私には思える。

    ・・・それが現実であるなら次の原発事故では、地震直後に、実は保安要員(バイト)が前日に大量退職していてメルトスルーするかもしれない。


    『幼稚さに対応せざるを得ない』



    この日本の幼稚さとわれわれはいつか対峙せねばならない。

    ならばそれは「今」ではないだろうか?

    幸いなことに幼稚さの一端が日本のビッグイシューの足にしがみついて『騒ぎ立てて』くれている今はチャンスである。

    危機とは、クライシスとチャンスの合成語だ。


    幼稚さへの対応とは、一方では今の段階でパニックになっている人たちを慰撫するようなものも必要だろう。残念ながら(しかし議員まで選んでしまえば、これを無視するのは民主主義に反する)。

    ただもう一方では幼稚さを捨てるために、国民を『再教育』するようなPRのキャンペーン(パンフレットを作るようなお仕着せではなく、実際にタウンミーティングをするなどの効果のありそうなものを)をするべきだ。

    まあ『再教育』というより『丁寧な議論』だが、人は『対話から学ぶ』ものだ。

    原発問題はそういう意味では最良の教材だ。

    原発の問題についても、「安全である」と確認保障するだけでは不十分だ。
    「紙の上で安全である」というのはすでに『何度も保障されてきた』からだ。

    実際にどういう作業プロセス(や全体的なカルチャー)がどう変わったか『悪かったとき』と『今の状態』を実際の作業員に語らせるなどの『丁寧さ』が必要だろう。

    マクドナルドだってやっていることだ。
    「実物とメニューの写真が違いすぎるんじゃないの!?」という質問に答えた動画
    「良い質問ね、よく聞かれるのよ。」


    そしてこういう『マスに向けて信頼を得られる丁寧なやり方』を身に着けるのは国(企業、体制側)には必要なことと思える(科学的に正しいと保証されたということを連呼するなどという事はむしろ最悪に近いと思う)。


    最終的には今信用されていないのは『人』である、信用されるとしたらやはり『人』だ。

    このページのトップヘ