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大阪府内、主に梅田の居酒屋さんの"本日のおすすめ"を紹介するブログです(黒板の画像は拡大したら値段まで読めるはず!)。季節感のあるブログを目指しますw SNSとかでお探しなら→CampSite mixi FB twitter

    カテゴリ:義巨の理屈

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    はじめから無効化した制度を導入した日本企業」で『目標管理制度の導入がイケテナカった』という話をしました。

    とはいえこれは「日本ではよくあるダメパターン」でもあるともお話しました。
    それとは逆に「外国から学べ」を成功した直近の事例『明治維新』の例ではどうでしょう?

    【本質を捉えるまで徹底して学んだ明治】


    明治と「ショーワ」の違いはどこにあるのでしょう?

    まず、様々な事を「丸呑み」で学ぼうとしました。
    そしてそれに対して「ケチケチ」していません。

    日本は幕藩時代から世界各国に留学生を派遣し、実際を「見聞」させようとしました。

    色々な論点はありますが、このときの「留学」は現代のMBA留学のような傍流ではなく、主流の取り組みとして実行されていて、留学してきた人たちが実際に制度設計や行政の主流にかかわっていく事になります。

    留学生とはすこし違いますが「岩倉具視使節団」などは座長の岩倉具視はもちろん、明治の立役者大久保利通もふくまれ「首脳」が直々に見聞を広げに行っています。

    また現代とは違い「留学組」を色眼鏡で見て傍流に追い込むような振る舞いはありません。
    (逆に内向的になりすぎた士族などの反乱には苦しみます)

    【留学組の重用とお雇い外国人制度】


    外国視察(留学)をしてきた人間は政府はおろか陸海軍の首脳もかためています。
    (山県有朋、山本権兵衛という初期の大立物は2人とも「視察旅行」という範囲を超えて海外で学んでいます)

    榎本武揚などは最後は幕府軍の総司令官までやって、北海道独立なんて事までぶちあげた人間でしたが国際法の知見があったため、攻め手の黒田清隆の助命嘆願もあり生存、最終的には明治政府の高官になっています。

    お雇い外国人もこの表を見れば「お金儲けにかかわる」とか「富国強兵に役立つところだけうまくツマミ食いしてやろう」というような安易さはなく、文字通り「すべてを学ぶ」気概があった事がわかります。

    【真髄を学ぶまで学ぶ-明治憲法】


    これは明治政府が動き始めても継続し伊藤 博文も「憲法」を学ぶために、一年以上欧州に滞在し「各国を」回っています。

    この「各国を」というのが重要で......

    「イギリスの圧倒的な憲法(紳士協定(常識)としてみんなが把握しているが、成文が存在しない!!)」
    「ドイツのハードな法律のあり方(逆に大陸法で成文がカタイ)」

    ......などに打ちのめされますが、最終的にはウィーン大学のシュタイン教授に師事を受け「憲法とは国体(歴史)なり」という結論を得て帰国します。

    (シュタイン教授はそれでもつれて帰りたかったようですが高齢でもありそれは叶いませんでした)


    大日本帝国憲法について「知らずに語る」向きが多いのですが、天皇の祝詞(祖先代々への感謝と誓い)から始まるこの憲法は正しく日本的で、穏やかなものです。

    もっとドイツ的で天皇陛下に「皇帝」的強権を与えたいという主張も存在しましたが最終的には「穏やかな憲法」......当時としては世界で類を見ないほど国民の権利を重視した憲法になりました……

    ……その理由は優等生的に「リベラル」を気取ったからではなく、日本が「元々そういう国だったから!!」です!!

    日本の元首である天皇陛下は本来的に「中華的な帝王」ではなく、むしろ民のかまどの逸話などからもわかるように歴史的にも世界的にはめずらしい「国民に寄り添う元首」でした。

    (まあ途中では少し生臭いお方もおられますが、それでもそれは「民をどうこうして云々」というのではなく、あくまでも「権力者内での勢力争い」をしているにすぎません。江戸時代に書かれた落語や、明治になってからの夏目漱石の作品などを見れば日本の「戦前」にも現代につながる自由で明るい空気が充満していた事がわかるでしょう……日本の戦前を叩く人達が言う『天皇独裁の統制国家』は実は「戦中、しかも敗戦前」に現れたパニック(とご聖断による終戦を考えると「緊急避難」)に過ぎません……そもそも灯火管制だとかが必要な「(国際法違反の)空襲多発」なんて状況は敗戦間際だけです)


    ……この憲法のもとで日本は「真の奇跡の成長(昭和をはるかに上回る!!)」を遂げて、「東洋の半文明国」から「世界唯一の有色人種の列強」へと肩を並べる事になりました(これから見れば第二次大戦後の成長は単なる「復興」です)。

    まさに「本質を学び、それを生かした」最大の例が大日本帝国憲法だったのです。


    第二次大戦の結果は「勝敗は兵家の常」という以上のものではありません。
    (しかし日本国が「再び立ち上がる」ことができるのは無形の構築物か国民の中に築かれているからです)

    とはいえ「習い性」だけではなく「真摯に学ぶ」事が出来る知的好奇心のある国柄と歴史が日本にはいくつもあります......もちろんそうでない時期もあるのですが(笑)文字通り「一度でも」学び変革ができた国は少ないのですその力を自覚して、活かしていく必要があるでしょう。


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    例によってリハビリがてら書きます(文章の乱れについては「しばらくおまちください」)。

    陰謀論のように語られることもある「中央銀行」その起源と役割について簡単に見直して見ましょう。


    中央銀行の起源はイギリス


    近代的な国家の仕組みのことごとくはイギリスから湧き出しています。

    これは歴史の7不思議のひとつと言えるかもしれませんが、「中央銀行制度」もイギリスから始まっています。

    政府に安く金を貸すための機関


    さて、この中央銀行ですがそもそもは何のためにあるか?
    それはズバリ「政府に金を貸すため」です。

    当時のヨーロッパは王様同士が決闘がてらに戦争をするというクレイジーな世界でした。
    例のきらびやかな服装をしたマスケッターや騎士たちを動員するにはすさまじいカネがかかります。
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    画像はこちらのサイトよりお借りしました。

    この「大事業」のカネは運が良ければ王室の金庫からひねり出す事ができましたが、概ねはムリでした。
    そこで商人に頼る事になりますが、これがなかなか難しいのです。

    当然足元を見られて「高い金利」が取られますし、金が返せなければ担保が取られてしまうかもしれません。
    踏み倒したら踏み倒したで貴重な財源を失う事になるかもしれません…経済の混乱や信用力の低下でカネが借りれなくなれば先は短いのです。

    中央銀行は「国債」を発行する事で国の必要な資金を調達し、政府に貸し付ける役割を持って誕生したのです、金利は一般の商人に借りる場合の半分程度でした。

    現代の中央銀行へ


    ちなみに現代では「日本銀行券」を発行できるという『特権』を持つのが中央銀行ですが当時は違いました。

    当時は「資産の分だけ銀行券」を発行できる権利はすべての銀行が持っていた権利だったのです。
    (例えば「UFJ銀行の金3g分の券」という具合です、日本でも当初は民間銀行で紙幣を発行していました)

    後にこの権利は中央銀行に集約されていきました……基軸通貨の確定と同様「交換する上では面倒すぎる(※)」ので徐々に「イギリス中央銀行券」以外は排除されていったのでしょう。

    ※「面倒すぎる」例えば東京で、網走銀行の銀行券をもらうとその銀行の信用力(潰れるかもしれません)を知るのも難しいですし、金に交換するにも不便です。

    かくして「国家の紙幣を印刷する事ができる」中央銀行が生まれました。
    ※当時は今と違って原則的には「金銀」などの貴金属と交換ができる兌換紙幣です。

    現代の中央銀行


    現代の中央銀行も政府から一定の独立を持つように設計されることが多いのです。
    これは紙幣の発行が経済の状況に大きな影響を持つ事が徐々に確認されてきたからです。

    ……が!! 独立は絶対ではありません(※)、理由は以下で述べます。

    ※「独立絶対ではありません」中央銀行は政府の一機関かFRBのように民間銀行の「連邦政府」の体裁を取るケースもありますが、国家の法で定義された役割と特権を持ちます。また紙幣は中央銀行の専権事項ですが日本であれば硬貨は政府発行です、10万円金貨などを大量発行すれば容易に「貨幣発行」をする事ができます。

    現代は「兌換紙幣」ではなく「不換紙幣」です。

    紙幣の印刷量は「金とのバランス」ではなく「国の信用力(果たして何で計れるのか不明です※)とのバランス」という事になっています。

    ※「何で計れるか不明」原則としてみればその国家の「総収入(税収-予算)」と「資産負債のバランス」ということになりますが「将来性」もそこにはかかってきます(将来的に税収が伸びそうなら多小貨幣をすりすぎてもOKなわけです)。

    問題はこの「バランス感覚」で紙幣ばかりが増えて購入する事のできるものがないと、紙幣の価値は下落します※これが「インフレ」で逆に貨幣発行量が少なければ「デフレ」になります。

    いまや日常的に「政治の争点」にもなる『金融緩和ありやなしや?』というのはこの「インフレ・デフレの是非」と深くつながっているのです。

    ※「貨幣の価値は下落します」家庭内総生産が100万円の「長谷中家商品券」が1億円分発行されていても欲しがる人は居ないでしょう、ただし1億円分が300万円で売られていればかろうじて買う人も居るかもしれません(5年くらいは存続すると見込まれるならです)、100万円ならまあトクかなと思う人が居るかもしれませんが、一つの家庭が何年存続するかは謎なわけです。このあたりの価格は「保険」のようにリスクとリターンのバランスで決定されます

    インフレ・デフレを操る『信用力』のダム


    政治家がこの「紙幣のダム」のジャグチを握っていたらどうでしょう?

    「あとちょっと、あとちょっと…」と政策実現に必要な紙幣を印刷してしまうかもしれません(ちなみに紙幣をすった分利益が生まれますこれは『通貨発行益』と呼ばれます)、お金を刷った分丸儲け……になれば良いのですが、他国の人から見ると「国家の信用力が変わらないのにお金を増やした」事になるのでその価値は下落します(※)。

    ※「その価値は下落します」当たり前ですが貨幣の価値はたとえば「ドルに対して」とか「ユーロに対して」とか他国の紙幣との関係で定まります、そして当初は「国内」での影響は無いのですが原料輸入などの時に「円」で購入できる商品の量が減るため、モノの値段は実質的に上がります……例えばうまい棒は「常に10円」ですが2017年昨今は3年前より随分小さくなっています

    日本の例では『狂乱物価』であまりにもインフレが激しいと経済は混乱します……そしてみんながカネを借りて散財しまくるので『バブル』が発生しやすく(※)なります。

    ※「バブルが発生しやすく」200万円のローンを組んで3%のカーローンで車を買ったとしてもインフレ率が10%であれば、翌年には給料は10%程度、車の価格も10%程度増えます(例えば給料は30→33万円、自動車の価格は200→220万円)、ところが「借りてしまった借金の金額」には「インフレ調整」はありませんから 『早く使わないと損!!』という事になります、これが土地などの「投資性のあるモノ」だと…。


    逆にアメリカなどでよく話題になる「FRBはロックフェラーの意を受けた組織」という陰謀論もあります。
    通貨の発行量を減らすとデフレが起こります、逆に物価が下がっていくわけです。

    こうなると『銀行』などの『お金持ち(ロックフェラーは超お金持ちです)』は大きくトクをします。
    (すでに貯めてある莫大なお金で買えるものがどんどんと増えていくからです)

    しかし、デフレ下では経済は大きく減速します、「今使うより、来年使うほうがトク」だからです(うまい棒(10円)もどんどん長くなっていきます)。


    これは「お金持ち」には福音です、しかし「労働者」にとってはどうでしょう?

    インフレではバブルが起きるとは限らないが、デフレで不景気は必然


    インフレ下では借金をしても毎年負担が減っていきましたから月給が30万円でも自動車を買う事ができました。
    デフレ下ではこれが逆になります。

    「自動車を買う事ができない」となると、あなたが自動車会社の社員なら当然給与は下がります、もしかすると失業するかもしれません。

    あなたが自動車会社の社員でなくても、あなたのコンビニにいつも買い物に来ていた人が来なくなるのです。

    誰かの支払いは、誰かの収入なのです。

    かくしてデフレは「デフレ」というだけではなく「不景気」と同時進行してどんどん悪化していくわけです。
    (ただし、あなたのいくばくかの貯金は増える事になります、あなたの貯金額と、その後の労働でどれくらいのものが受け取れる見込みかで微妙にポジションが変わってくるわけです)

    インフレもデフレもスパイラルがあります。
    ただし、結果を見れば「マイルドなインフレが妥当」というのが経済学と歴史の定説となっています。

    インフレ下でのバブルは必ず起こるわけではありません(※)が、デフレ下での不景気は必然だからです。



    この記事のタイトルは「中央銀行はQWERTYキーボードか?」でしたが、本来の役割である「国の借金を安価に済ませる」という役割は現代にも「必須」のもののような気がします。

    「時代遅れな遺物」的な要素は「中央銀行」という大きな作りの中にではなくてもっと細かい制度や文化
    、あるいは逆に社会全体にかかわる課題についての意思決定システム(政治)といった大きなフレームワークの中にありそうです。

    そもそも経済に「借金が必要か?」についてはこちらをご覧ください。
    判断は分かれるところですが、借金(クレジット)による一定の波動(5〜10年)があることで社会が「振られる」事は機会の平等にプラスの働きをしているような気がします(長期変動しかないと下落機に生まれた人は死ぬまでワリを食う事になります)。


    ※「必ず起こるわけではありません」インフレ下だからといって、必ずしもバブルが起きるわけではありません。バブルというのは『値上がり転売』を狙ってある特定の投資に資本が根拠無く集まる事です。例えば銀座の土地で1屬妊咼献優垢鬚垢譴亰100万円儲かるなら1(驚くほど狭いですよ)の土地の価格は1億2000万円で妥当(不動産はだいたい10年で取り返すので100x12x10=12000)なわけです。インフレ率が4%であれば毎年480万円(実際には複利なのでもっと)儲かる事になります。

    これを織り込んだ価格で購入しても「適正」なわけです……が、バブルでは「銀座の土地は毎年倍々ゲームで上がる」というような状況になります(欲しがる人が多いからです)。

    このような状況では「実業」から乖離した価格設定がされるようになります。簡単に「バブル」といいいますが価格上昇は「どこかまでは」適正です「速度がゆっくり」であれば技術の進歩などでそのギャップが埋まりそれよりも儲かる事もあるかもしれません(例えば安価に超高層ビルを建てれるようになるなどです)、こういうケースであれば「バブリーな価格での購入」も『先行投資』と賞賛されるでしょう。

    しかし、好景気の利益が『一つのジャンルに集中する』と大体において『過剰な価格』は現実を大きく超えてしまいます。

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    注釈がなげー。

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    目標管理制度についてのヤバイ話


    エンパワーという言葉の意味についての個人的な憤りを吐露したところこのBlogにしては好評を頂いているようなのでこれについて関わることをまたつらつら書き連ねてみたいと思います。

    ただ、最近思考が上手くまとまらないので、文章が乱れるかもしれませんが……その場合しばらくしてから改修が入ると思いますので読み流してください。


    八方破れ


    ……とはいえこの話は必ずしも「目標管理制度というコンセプトの問題」ではないのです。

    むしろ「日本型経営」というものが「無駄に増長している」事の証左でもあり、それが日本のITによる生産性向上を阻んでいる大きな要素ではないかとも思えます。

    (NewsPicksの記事「バブル期のIT投資」「いくらIT投資効果が低いと言っても、海外企業の場合は必ずプラスに出る。それが、日本企業に関しては軒並みマイナス。要するに大金をかけてわざわざIT投資しない方が良かったという結果…」)

    つまり「一事が万事」という事で、日本企業(組織)の根源的な文化的な課題かもしれません。


    さて、それはどういった事でしょう?

    日本には「守破離」(しゅはり)というよい言葉があり何かを修める場合には3つのステップが必要であるとされています。


    まずは「守る」
    言われた事、今行われている事を「丁寧に守る」事が第一歩です。

    次に「破る」各プロセスなどを入れ替えたり、それらに入れるパラメーターを『妥当な範囲』と信じられる範囲で変更してみる事です。

    この二つのステップは順序も含めて重要です(離はもういいでしょう、それらの知見から全く新しいものを生み出すことです)。


    工作機械などを入れたときに「まずはマニュアルどおり」に扱う、その後に「改造やマニュアルに無い活用」を考えるというステップが必要です。

    なぜならば「その制度やシステム」を正しく理解しなければ改造や改変でシステム自体を「破壊・無効化」してしまう事も考えられるからです。

    部品や工程の入替といった「変更・改造」は不用意(半可理解)にするべきではありません。

    「一目したところいかにもムダ」でも「あえてその並びにしている事で」機械の故障を抑制したり、動作の信頼性などを担保している場合もあるのです。

    ……と、同時にQWERTYキーボードのように電信時代には意味のある仕組みだったものが、パソコン時代には無意味というものもあります、ここを「理解」して「破離」をする事も必要です。

    八方破れの日本型(?)目標管理制度


    しかし、日本においては目標管理制度は始めから「日本型(?)」に改造して導入されました(マニュアルどおりに使ってもみずに「日本風に(良い方向に)」改造する事ができる発想は『傲慢』と言えるでしょう)。

    その明らかな証拠が「目標管理制度」が「給与と連携している」事です。


    目標管理制度はドラッカーの提唱時からあくまでも「企業と個人が合意する」ための制度です。

    言うなれば個人側が「私はこの仕事をやりたいと思っている」と意思表示するためのものです……企業側は元々「指示命令」や「ノルマ」という形で意見を表明する事ができたのですから。

    そしてこの「企業と個人の目標」は個人と共に「企業側(管理職)も」達成させるために全力を尽くす必要がある「コミット」であると述べられていいます。


    これは本質的に目標管理制度の目標は「企業側との共有した目標」であって「個人の成果を現すもの」ではないということです。

    そして、初期の提唱時(その後の研究論文だったかな?)から「給与と連動させるべきではない」と述べられています(が、すいません本の名前とか忘れました)。


    「考課に使われる目標」という事はこれは「必達目標」にならざるを得ず、多くの企業で『目標管理制度』が単なる「(あえて言うなら少し自己啓発なども掲げられる)ノルマ」になってしまった事からも明らかです。


    「目標管理」は『企業側と従業員のコラボレーションツール』であって「考課(成果測定)」の制度ではありません。

    (もちろんこれらの過ちは本家の米国でも繰り返されている(ヤバイ経営学でも経営陣が目標を結果判定前に見返すというようなことをやっていると指摘されている)のだろう、特に「給与と結び付けてはいけない」なんていう警鐘が鳴らされたのだから推してしるべしである)


    そもそもの提唱理由や「企業側も達成にコミットする」という仕組みを考えれば「考課に使えるはずはない」のです。

    どんな仕組みであれ制度であれ、まずは「型通り守る」事が必要なのです。


    いきなり「破」れば高度な(ましてや企業に導入する以上巨大な)構造物はいともたやすく崩壊してしまうでしょう。


    日本型の目標管理制度


    「日本型の目標管理制度」というものがあるとすれば小山昇氏の提唱する「他人じゃなくて自分の過去と比べて鼓舞する」という制度が上げられます、小山氏はドラッカーを読んでいるとは思えないですが鮮やかで無駄のない「目標管理」になっています(ただしドラッカーが示した自由度はありません)。

    これは「コミュニケーションや『現場指揮官』としての振る舞い」などを学ぶ暇のない日本の管理職には易しい方法です。

    相手との対話で目標を引き出したり、自分達の仕事の意義を説いて会社の期待する仕事を目標に入れてもらうような「ディール」をする必要は無く、相手もわかっている「メインジョブ」の成果を本人の過去と比較して評価し鼓舞するだけでよいからです。


    おそらくドラッカーが提唱した制度は日本ではそのままでは機能しなかったでしょう。
    これは提唱された仕組みに問題があるのではなく、アメリカ人ならごく自然にする「ディール」が日本人には一種の罪悪(ですぎた事を言いすぎだ)だからです。

    「文化の違いを乗り越える工夫」は否定されるべきものではありません。

    しかし「安易な変更」は制度自体を無効化(あるいは『害悪』化)してしまいます。

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    われらの偉大なるドーチェ(総領)ハシモトへ


    今回の結果はむしろ奇跡の成果だといえる。

    このような抽象的な事案でほんの1万票で競り合うという状況は、大阪市庁舎が焼き討ちにでも合いそうな状況でありながら、ほんの8年前には誰にも思いつかなかった。



    今回の投票は歴史的なものだった、そしてそれは「この結果」を受けて完全に確立したものになった。

    それが「いまここで実現までしなかった」ということは責められるべきことではない。


    「この政治事業」の歴史的成果とは前の手紙にも書いたように「(市民が)市民の直接投票が行政(体制)を変え得る、と体感する」事が全てだった。

    結果反対派の失敗によってこれは「投票が始まる前に」結果が出てしまった。


    現在市民は「投票で物事が変わる」と体感している。


    そして大勢はまったく動いていない、むしろ歴史的に見て「最良」の状態だ。
    議会の構成、市民の意思、そしてその優位にありながら「惜敗した」この状況。


    さらに素晴らしいことにたった六ヶ月後には市長選知事選が控えているという「現実」だ。


    維新の党は何をするべきか?

    それについてつらつらと述べるのは冗漫すぎるのでやめよう、「好機の生かし方」には定まった形など無い。



    8年間、人生のおよそ1/10を費やした事業の結果は「最高だった」と表現していたが、私もこの結果は「最良」であると思う。

    一市民として、市民の代表に立った政治家、しかも「独裁官」というような最高の権威を務めたものが、再び一市民に戻るというのは古代ではごくありふれた事だが、それをあなたは「再興」した。



    ただ最後に老婆心ながら示すとすれば、カエサルの例に倣い、アウグストゥスを選べということだ。

    その若者は苦難の道を歩むことになるだろうが、結果あなたより優れた政治家としての成果に恵まれるはずだ。

    それはあなたが立ち、道をつけたからである。


    偉大なるドーチェ(頭領) ハシモトへ
    一市民 義巨より。

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    水素についてあまり興味が無かったが、トヨタが本気でやりそうなので少し考えてみたところ水素インフラは電気とはぶつからないように思う。


    【作れる石油としての水素】



    重要なのは水素循環社会というフレーズでありコンセプトだろう。

    重要なのは「水素」という精製にエネルギーはかかるものの大気中を循環して差し支えの無いものを「エネルギー源」つまり「石油の代わりにする」という事だ。

    精製にかかるエネルギーは「太陽光」などの自然エネルギーを活用することでクリアされうるし、これが「自然エネルギー活用」のハードルを高くしている「不安定さ」を補う要素にもなる。

    ギガソーラーと呼ばれるような大型の太陽光発電設備はその発生した電力の活用について現在のところ「一社独占」の電力会社への販売以外に道は無い。

    しかし「水素で備蓄し販売も可」となれば話が変わってくる。
    バッテリーと違い「物質」である水素は条件さえ整えば「減衰なく(長期間)」「安価に」蓄積することが出来る可能性が高い。


    【個別配送網としては電力網のほうが有利】



    僕は個人的には水素自動車はうまく行かないように思う。

    厳密に言えば「自家用車の置き換え」には向かないと思う。

    水素自動車は「業務用車両」向けの技術、インフラとして小さな形に残るのみとなるのではないだろうか?
    (タクシーのガススタンド程度に配備されて終わるのではないか)

    いかに水素が軽くても「物流」はやはり不利だろう。


    自家用車のような「小さな用途」はEVの圧勝となるのではなだろうか。

    さらには当然家で使う様々な家電にはバッテリーが積まれる(積まれている)、それだけでなくテスラとパナソニックの協業で作られる「家庭用大型バッテリー」は自然にスマートグリッド(賢い電力網)を実現してしまうのではないか?とも思う。

    つまり「備蓄資源、エネルギー源」は水素、「一般利用、短期的な備蓄」は電力網(バッテリーを内包した)が担う未来だ。


    【EVは簡単だ】



    とはいえだから「クルマでトヨタは負ける」という話ではない。

    「水素」は「石油」と競合するものだからだ。


    じゃあトヨタは自動車をあきらめて22世紀のエネルギー企業になるのか?
    もちろんその線もありうる話だ。

    しかし、とりあえずこの数十年の話として考えればトヨタはあるタイミングで「EVを作り始める」というのが一番素直な予想だろう。


    全自動工場が必ずしも優位でないからトヨタは工場を全自動にしていないにすぎないし、テスラの作っているレベルのEVが作れないからトヨタがやっていないのではない。

    内燃機関を搭載する現在の「ガソリン車」よりもEVは製造が簡単なことは誰もが何度も繰り返し指摘してきた。

    やらないのは単に「スケール的にトヨタは参入するメリットが無い」という事に過ぎない。


    投資にはタイミングがある、テスラがある程度の「高級ブランド」になったとしても実際「ポルシェ、ベンツ、トヨタ」は現状ではそれを上回るブランドだし、タイミングさえ間違えなければそれは永続する。


    僕はだからマスクはとりあえず置いておいて(彼が脱石油インフラという姿勢を示すほど、水素社会の実現に対する抵抗も緩くなるはずだからむしろ「煤払い」くらいに考えて大いに支援するべきだ)日本は、水素循環インフラに力を入れていくべきだろう。


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    13日追記【水素関連記事】イワタニの記事ですが「ガソリン価格に連動して水素価格を決める」という記事が今日出ていました。

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    僕の目から見ると、家事と外事(金銭を稼ぐ仕事)は重要性から、労力までなんら変わる事は無いと思える。

    その仕事への理解者が少ない事まで含めてかなり近い。

    ただし、家事には「中間管理職」はいない。

    基本的には「経営責任者」の間の対話で話はすむ。

    企業幹部は年収が高いから平均寿命から自殺率まで、労働者に比較すれば「優遇」されているそうだが、これは金の問題だけではないのでは無いだろうか?

    確かに責任者のプレッシャーは大きい、しかし、「穴を掘らせて埋めさせる」拷問もあるのだ。

    無責任(あるいは不勉強)な「中間管理職」の管理という名の「前例踏襲」に付き合う事が「労力的な多少」とは関係なくイノチを削っているという見方もできるのでは無いだろうか?

    そういえば、男の平均寿命は女より短いそうである。
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    今年の日本には政治的な朗報が二つ生まれた。

    一つが大阪における維新の一強状態の確立。

    とはいえ中小事業者を中心にまだ抵抗は続くだろうけれども。

    彼らが「自分達が投資してきたモノ」を失う心理的な抵抗から、民主を棄てて「まだ話のわかる」自民に雪崩をうったのが今回の選挙の結果ではないかと思う、しかし資本の非効率な運用は「多くの彼らにとって」も最終的な利益になならないだろうが。


    もう一つが「安倍政権の成功」である。

    外交について取り沙汰するのは僕には難しいが、アメリカ、中国、ヨーロッパのそれぞれが自分の課題をもつ今大きな動きは起こらないというのが僕の認識なので。

    日本も「合わせて打つ」くらいで良いのではないかと思う(アジアの安定に貢献し、アメリカの意向を汲んで各国に技術や装備を提供するくらい?)。

    その点で言えば内政は沖縄の問題に対する姿勢を除けばほぼ「現実的な理想」と言えるのではないだろうか?


    【実感のある景気回復】


    とはいえ内外共に「大山鳴動」というのはまだまだあるだろう。

    ノイジーマイノリティーは「ノイジー」でなくては存在価値がないからだ。


    とはいえ「サイレントマジョリティー」は静かに景気回復を実感している。

    もっとも大きな改善は「自殺率の大幅な減少」でピーク時からは25%、しかも年々改善している。

    景気は文字通り「気」でもあるので経済状況と共に、(マスのレベルで)職場の雰囲気が改善し、問題にも「まあなんとかなるさ」と楽天的に捉える比率が向上している事も大きな要素である。


    …まあ、理屈はいい、アンケートの結果ではなく「事実」が切り替わっている事は望ましく、明るい事だ。

    維新回天「これらの変化」が『良い循環』に繋がるように願うとともに努力をしたい。

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    世間ではこの段階でも色々議論されているが、僕の予想ではApple Watchは商業的には必ず成功するだろう。

    なんせ、別に他に「買うべき」という商品が無いのだから。
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    【問題はその後】


    とはいえそれがAppleのバラ色の未来を意味しない。

    Apple Watchが売れるというのはブランドの力「未来への期待」であって、買ってみた結果のほうが重要だろう。

    そこにiPhoneのような「未来」がなければブランド価値自体がダメージを受ける。

    とはいえ、世間の人がいうようにWatchに未来が無いと言っているわけではない。
    未来には「発明」は必要ない。

    iPhoneだって「発明」的には大したものではない。


    Watchはよく出来たデバイスで誰かが「懐中時計型」を要求していたが、それだってあのバンドの方式であれば実現可能なのでは無いだろうか。

    滑らかなボディは懐から取り出すのにも適切な形をしている。

    あとは、ソフトとエコシステムで生み出される「価値(実現する体験)」でそれは実物をしばらく見てみないとわからない。


    【ブランドの価値を確立するべき?】



    それとは別に僕はAppleはもはや「永続的ブランド」を目指すべきだと思っている。

    具体的には内部のモジュールをアップグレードすることで永続的にその端末を使えるビジネスに移行しても良いのではないか?

    「ハンドホールドコンピュータ」はひとつの『カタチ』として確立されてしまったものだろうと思う。
    腕時計同様だ、これは「ハンドホールドコンピューターの物語」は神話化して永続化するために今後のiPhoneは何らかのカタチで「永遠に使える」形に進めるべきだろう。

    もちろんそれは、僕らの期待するようなプライシングでは難しいかもしれないが、一つの正道ではあるだろう。

    そしてジョブスならやらなさそうなので、まさにクックに「期待」したい分野でもある。

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    「統治」という事への理解度が組織、例えば「企業」の生産性を『変える』それどころか『決定する』と聞けばあなたはどう思うだろうか?

    【統治=ルール】


    統治につきものなのはルールだ。
    しかしこれらはしばしば「お題目」と認識される。

    どうだろう?あなたは自社の「存在意義」や「企業の哲学」を(自分の中で解釈した形で)述べられるだろうか?

    さらにはその「価値観の定義」や実現について同僚と議論できるだろうか?

    【実用的なルールは「広義の教義」】


    実用的なルールは「教義」でなくてはならない。

    『徹底して広められ』
    『行動の方向性を示す』実用的な『価値観』を示すものでなくてはならない。

    【日本人は「改宗」しない】


    日本人の問題はこういう「教義と統治の関係」に無頓着で、単に「それはそれ(建前)」として認識される。

    その結果『価値観』は徹底されず……ということは「隣りの席の人が自分の努力を打ち消す(無効化させる)仕事をしているかも知れない」という事。

    使えなくても『放置』される……ということは「ルールはいつまでたっても実用的ツールにならない」。

    欧米人はそこが徹底していて、「律する」必要性を『根本的に』理解している。


    【合理的な非科学的情熱】



    日本人は彼らの宗教を信ずるという「非科学的情熱」は理解しがたいと簡単に考えるが。

    実際のところ社会や企業の生産性を高める上でプラスに働いている。

    彼らは『律するもの』を尊重しつつ、必要性があれば『改宗』する合理性を持っている。

    (追記♯そして宗教側も様々な解釈や工夫で自らのあり方を変える、「会議」で聖典の「異端審査」をする、また「神性についての定義を確認」するなど日本人は逆に「不遜」と思いそうだが、間違えていたのは「人間の解釈」や「文書の真偽」なのだろう。)

    一見すればそれは「無節操」に見えるが、実は違う。

    彼らは『自分達を律するなにか』をホールドするという点において一貫している(し、ユダヤ→イスラムは教義は異なっても『同じ神』を信仰しているのでハードルが低いというのもあるだろう)。

    日本人なら「それはそれ」と誤魔化してしまうだろう。

    しかしそれでは「組織」は『律』されない。


    カシアス=クレイというボクサーの事例をだそう。

    彼は国には屈さず意思を通した(ベトナム戦争兵役拒否)が、神は捨てず『モハメド=アリ』としてイスラムに改宗した。

    彼らは律するものへの情熱は絶やさないが、実は宗教自体にも常に冷静な目を持っている。

    佐藤優氏の初期の著作に「引退後にムスリムに改宗したロシアの有力者」の話があった。

    この有力者は「教義の欠陥(構造的な強度不足)」(たしか神の定義の仕方)を改宗理由に上げていた。政治家である上では「宗教的な基盤」を変えるわけにはいかなかったのだろうが、引退後に『律するもの』を改めたというこの例が鮮やかに記憶に残っている。


    『実用性』のある『価値観』の『徹底』がその組織の統治の質を決め、ひいては組織の生産性を『決める』のだ。

    なに、組織に神棚を作れと言うのではない、単に「仕事のを律する『実用的な』宗教を作れ」というだけの話だ。
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    あるところにバイクがありました、かつては世界一の栄光にも輝いた優れたマシンです。

    内部の無数のパーツは滑らかに連動し車体を前にと推し進めます。

    あるときこのバイクは運悪く側溝に落ちてしまいます。

    日本ではまだまだ多くの元農道の路地があり、その部分には運悪く蓋もかかっていなかったのです。

    なんとかバイクを溝から引き上げましたが、なんの不具合かエンジンがかかりません。


    折悪く、陽は落ちて季節は冬。

    たまに通りかかる人々は「おまえのキックが悪い」だとか「エンジンプラグが悪いに決まっている」だとか「オイルが多すぎる」だとかでイロイロと言われてその通りにしてみてもエンジンはかかりません。

    一度などさも自信ありげにマシンをいじっていた男がもう諦めたとばかりに側溝にバイクを突き落とそうとしたのには驚きました、無茶な人がいるものです(とはいえ「そんなバイク捨ててしまえ!歩けば良い‼︎」と怒ったように言う人は沢山いました)。

    さっきの男に任せた事で小さな唸りも消えてしまい、ライダーは途方にくれましたが仕方ありません。

    さっきまで思い思いの事を言っていた人達も家路につくか、遠巻きに見ています。

    自分がすべてを作ったわけでも、すべてを把握しているわけでもありませんが。
    もう一度マシンをチェックして、「キック」してみるしかないのです。←いまココな。

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    まあ、派閥争いについてはそれなりに知っていて、実際に一つに統合するのは「無理」とは思うが、イスラム国を認めてしまった方が良いところもあるな、という話。


    【適正な統治は文化に拠る】


    適正な「統治」を達成するにはその人々の持つ「文化」への配慮が欠かせない。

    現在ロシアにプーチンという「ツァーリ」が存在するのも、イギリスや日本はもう少し賢明に「王制」や「天皇制」を維持しているのも決して偶然ではない。

    アメリカはローマ型だが結局「有力門閥」が存在する(歴史が浅いので良くわからないだけだ)。

    政治というのはあるところでは「力」であるので(法という「律」を作り変えられるのが「政治」である)。

    「継続することによる力(権威)」はときに必要でさえある(議論が、ましてや投票が常に最適な答えを出すというのは「誤解」だ、僕自身緊急事態には天皇制に回帰する「緊急回避システム」を構想することもある)。


    日本にあった「企業による統治(終身雇用期の「雇用」はほぼ「統治単位」に等しかったと思う、なんせ「どの企業に属するか?」が「社会的信用」を意味したのだ)」もあの段階では間違いではなかったのかもしれない、と思う。


    話を戻すと、イスラム教徒が「カリフ制」を立てることが出来るならそれはきっと良い結果を生むだろう(テロ組織よりも、国家や共同体のような「持つ者」のほうがはるかに交渉しやすい)。

    時代がかっている?

    結局統治システムなんてギリシア時代にはほぼ完成していたようなものだ。
    現在の政治システムもそれらの『歴史的資産』を「取捨」や「バランス調整」をしているに過ぎない。

    繰り返しになるが君主制が間違っているというのは一種の錯覚だろう、利害入り乱れる100人で議論をするのと、素養のある1人の熟慮でどちらがマシかはわからない。

    現在まともな国ではバランスはともかく、この二つが並立しているのが普通だ(大統領制なんて最たるものだ)。


    日本は第二次大戦で「民主化」したと思われがちだが、むしろ第二次大戦前から「民主国家」だった。
    当時としては常識的な「選挙制度」を持っていたし、開戦を決定したのもほぼ「民主政治家」だ。


    アフガニスタンも別に「文明化」してもらわなくても「ロヤ・ジルガ(大会議)」というシステムを持っていた。
    それが運用できなくなったのはイギリスやロシアの介入の結果、地域が混乱したからだ。


    【彼らを『国家承認』をすると彼らの存在意義は大きく揺らぐ】


    そもそも彼らが武力行使を正当化できるのは、彼らを認めないからだ。

    イスラム系であれなんであれ過激派、テロ組織というのは根本的に「現状変更」をしないと実現できない大義があるから武力を行使する。

    これを単に「暴力、ゲリラ」と見做すのは『旧列強国』に都合の良すぎる解釈という見方がある、かつてアメリカの有力な軍事専門家のパウエル元参謀総長も「ゲリラは逆から見ればフリーダムファイターという事もある」と発言している。

    世界における「イスラム圏」の現在「正当」とされている国家が「欧米列強の紐付き」とみなされる事情も「歴史的にやむ得ない」と思われる(実態は必ずしもそうではないと思うが)。


    そういう意味では「イスラム圏で真のカリフを決定するならば」という条件でISも承認してしまえばいいのではないか(もちろん拒否される可能性は高いが、彼らの大義は毀損されるだろう)。


    現在のアラブ諸国も激怒するかもしれないが、カリフ(ムハンマドの後継者)ももともとは合議で選ばれていた(シーア派はその状況を「良し」とはしないと思うが、歴史的、そして現在の事実であることは認めるだろう)。


    彼らの「公正な伝統」を支持し、それを「カリフ」か「カリフの代行」と呼ぶかは別にして『正統』をつくる努力を進めるべきだろうと思う。

    そうすれば・・・7代先くらいにはなんとか収まりがつく方向に進んで行くかもしれない。


    ・・・まあ、これが今の段階で「実現性はほぼ無い」のは間違いが無いけれど。

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    ちょっと冗談のような話だが日本にはテロリストのサイバー部隊からすると最悪の「黒客」を持っているという話。

    まあ、「黒客」というと中国語における「ハッカー」だが日本における彼らは「テッキー」ではない。

    率直に言って「暇人」である。


    【悪夢における「ピンクの熊さん」のようなネット民の能力】


    実際のところ「テクノロジー」はテロリストになんら悪影響を与えない。

    石器にはじまり、電話、インターネットと彼らに利するものばかりである(まあ、普通「制限的」に使うものを彼らは「無制限」に使えるのだから当たり前である)。

    特に大きいのは「メディア全般」の特性で、結局のところ彼らは「事件」それも「大事件」を主に扱う。

    従って「メディア」が扱うものには、一定の「権威」が生まれる。

    しかも、現在はインターネットによって「当事者が」情報を発信できる。

    かつてのように「当局」が情報を制限してテロリスト=「血に飢えた悪魔」のような扱いにするのは難しくなっている。

    【宣伝戦に敗北する各国政府】


    現代のテロリズムはこの「環境」を活用し、テロリストを増産している。

    率直に信念を語り、現状の欺瞞とそれに対する怒りを語る事で各国政府の主張を…たとえば「なにが民主主義だ、所詮金持ちの道具ではないか」と語ることで「陳腐化」してきた。

    退屈でつまらない、しかも概ねハイソサエティの「政府」では、「世界を造り変え、真のイスラム的秩序の国家を構築しよう!」という『雄叫び』のほうが面白いに決まっている(このイスラム国、僕の考えでは「イスラム共同体」については他にも考えがあるが、今回はパス)。

    【テロリストも悪夢には叶わない】


    …が、だ。
    今回の一連の「クソコラグランプリ」騒ぎで判明したのは彼らにも苦手な物があるということだ。

    彼らは姿の見えない、しかも自分達よりも遥かに巨大なネットトラフィック(人数×一人当りがかける時間)に脅威を感じたはずだ。



    ISILにとって「ISIL」で検索した時にトップコンテンツ「クソコラ」が表示される事態は文字通り『悪夢』だろう(しかも彼らはグーグルに削除要求を出しにくい)。

    彼らは「ISIL」ブランドを育ててきた、『雄叫び』のブランド、イスラムの大義、冒険というストーリーでである。

    ここに『クソコラ』は受け入れがたい。

    2015-02-08-14-38-17



    【打つ手がなかったISIL】


    彼らの選択肢は結局一つしかなかった、それは「無視」である。

    しかし、これは本質的に「なんの解決にもならない」手段である。

    日本のネット民が『まつり』始めたら止めようがない。


    大義に対する不信感、無駄な技術力、『祭』には参加する宗教的?習慣。

    冗談のような話だが、現在世界で対テロ宣伝戦に圧倒的な能力をもつのは日本だ。

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    【日本に未来は・・・?】


    念頭からどこを見ても悲観論が多いようだ、もちろん僕も楽観はしていないが、絶望もしていない。


    もちろん私はエコノミストやアナリスト、政治家や官僚のような指導者層、それどころかアマチュアのウォッチャーでさえない。

    情報は不足しているし、偏っているだろう。

    したがって判断の基準は『身体感覚に合っているか?』という「論理的に理解しうるか?」「現実に起こっている現象に矛盾しないか?」「自分の考える限り最善の努力で実現しうるか?」の三つを混合したものにすぎない。

    その限りにおいて、日本には絶望的な要素はないと思う。


    【大規模な組織は舵を切りにくい】


    それでも「楽観していない」のは日本が『大国』だからだ。

    大きな船ほど『舵を切りにくい』、現状は致命的ではないにしろ油断していたら「もう氷山は避けられない」フェーズに入ってしまうかもしれない(この20年を考えたら・・・「20年」は決して短くないが、それでも日本は問題を解決できずにいる)。

    とはいえ、物理的に必要なものが「ない」状態ではない。

    誰もが指摘するように日本の課題は『ソフトの弱さ』特に『ネットワーク機能の弱さ』だろう。


    日本国は「個々のユニット」はかなり強いが、共同作戦を取ることが出来ずにいるように見える。

    『技術』はある、「ドイツの戦車にしか無線機がついていない」という時代ではない。

    日本の各企業はかなりのレベルで「情報技術」を受け入れている。
    (ただし『ハコ』が主体である)


    【ソフトは「すぐに切り替えできる」】


    インターネットサービスで躍進する新興国を尻目に、日本の動きは見るからに鈍重だ。

    私たちはそれの『細部を日常的に目の当たりにする』のでなおの事、粗が目立つ。


    しかし、重工業を育成するのとは違い「インターネットサービス」というような『ソフト産業』や『活用』を実現するのは比較的容易である。

    ソ連軍はドイツ軍に習い『装甲機動戦術』を身に付けたし、アメリカ軍は空母による『アウトレンジ戦法』を瞬く間に身に付けた(『総力戦』を戦いながら、ほんの1年でこれらの『ソフト』はコピーされた)。


    日本はなかなか頭を切り替えられずに20年がたった。
    しかし今回はまだもう少し時間がありそうだ(太平洋戦争はわずか4年ほどで終結した)。

    確かに多大で、合理的にはしなくて良い低迷を続けたと思うけれど、20年待てた今回は『世代交代』で「ソフト革新」が起こるのではないかと僕自身は考えている。

    この機に社会の諸制度(政治や労働法など)も切り替えることが出来れば、未来はきっと暗くはないだろう。

    【『強い日本』に求められるのは「ハード」ではなく「柔軟さ」だ。】



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    今回の選挙結果を見て実のところ少し安堵した(もちろん油断こそ大敵だが)。

    大阪においては少なくとも『維新』の意義は明確に認識されたと思える。

    驚きは、むしろ他の地方でも孤立無援(これについては、後に禍根を残しかねないのできちんとリカバリーしてほしいが)の状況で一定の議席をとった事だ。

    『見ている人は見ている』という結果に見える。


    【自民+1が変わった】



    今回の大阪における選挙結果(小選挙区では敗退するも、比例区で12区を除いて復活)はつまり「2票目は維新」という『行動』の現れだ。

    各政党は口には出さないだろうが、この結果に衝撃を受けているに違いない(今日のニュースによると公明党は本部の意向で都構想の住民投票に合意するようだ)。

    選挙結果の分析なんてものは、結局曖昧なモノだが、そこに何かが現れるのは事実だ。

    今回のような「鮮烈」な結果は民意の現れとして受け取られるし、事実そうだろう。


    【まともな政策ホルダーとしての維新】



    政治のゲームが変わったのではないかとも希望的には思う、少なくとも『新しい勝ち方』が出てきたのは事実だ。

    きちんとした政策……ワンアイデアでいい、例えば地域行政の統合と効率化。「幕の内」的な全方向の調整は自民がやるのだから……を持ち、継続的な活動が可能であればリソースをある地域に集中させることで地盤を作ることが可能なことを維新は示した。

    全体を調整する機能としての自民と、解決すべき課題やアイデアを示す小政党が取引をしていく時代だ。



    ただ、このアイデアを実現するには制度や法律に段階がある事が必要に思う。

    普通の政策や施策は「過半数」で良しとするが、税制や政体(憲法)、あるいは国債発行額の増減など重要議案には「3分の2の賛成が必要」と定めてしまうことだ。

    重要議案を出す必要があるということは、なんらかのミスか博打を打つということだからその代償としてなんらかの改善を取引としてでも受け入れるというのは日本の政治状況に適しているように思える。


    ま、この辺はそれこそワンアイデアですが、今年はまずまず明るい終わり方できそうだ、皆さん良いお年を。

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    報道などを見ると「政権のモラルの無さ」を言い立てるような報道が続きそうですね。

    小渕の関連事務所でのデータが破壊されていたというリーク報道や(警察機関へのリークを批判的に見る人もこういう場合は騙され易くなるようです)、育児への『臨時給付』が今年は予定されていないことを「休止」と主張する報道(給付の「非効率性」を批判的に見る人もこういう場合騙され易くなります)など思わず嘆息がでます。


    これには理由が二つあります。
    まず一つ目「ある組織を悪」と決め付ける報道は必ず間違いですし(悪の組織なんてものはむしろファンタジー)、有害です。

    【『悪悪』放送の有害性】



    「政府不信」をあおって「全体が」得をする事はありません、詐欺師と詐欺師寸前のアフィリエイター(彼らを報道人と呼ぶことはしたくありませんし、本来的にはアフィリエイターと言うにも値しませんが)くらいでしょう。

    「政府不信」はどのような結果を生むでしょうか?
    もしあなたが高齢者なら「政府不信」という情報に基づいてどういう行動をとるでしょうか?


    社会における「不信」の蔓延は、「非効率」の温床です。

    たとえば企業は金融機関を「不信」すると、必要なときにお金を貸してくれないかもしれないと考え「内部留保」を置くようになります、内部留保はその企業の「価値創造手段」ではありません、ただし緊急事態には大概のものにすぐに変えることができるでしょう。

    設備や組織(人)が「筋肉」とすれば『内部留保』は「社会の脂肪」です。


    お年よりが「社会」と「政府」を不信すればどうなるか?それは簡単です。

    死ぬときまで「数千万円のお金をためたまま死ぬ」ということになります。
    結果、『脂肪に満ち溢れた社会』にもかかわらず景気回復は遅れます。


    【安倍政権の善意】



    もう一つ、これは皆さんの見解と大きな違いがあると思いますが私は「安倍政権」は「非常に善意的」と考えています。

    単に善意であると言うだけでなく、きちんとした「ビジョン」があるように見えます。

    さらに言えば「クレバー」で、「徹底」しています。


    私としては、安倍政権がすばらしい形で終わることを期待しています。

    それがいかなる理由であれ、このチャンスを逃すのは大きな損失ですし・・・・・・「善意の破綻」ほど恐ろしいものは無いというのが「ナチス(彼らは全体主義という社会主義政党です)」から「各種の原始共産主義政権」まで、20世紀のおよそ半分をかけて人類が学んだことだからです。

    私は不信しません、しかし必ずしも結果が善意によるとも思っていません。
    安倍政権が善意的過ぎないことを期待したいと思います。

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