前回の手紙から、考えてみるとはや2年が過ぎた。

日々の過ぎ去る速さと、物事の・・・・・・という事は人々の考えや振る舞いの変化の遅さに驚く日々だ。

もちろんそれは偉大なるドーチェにとっても同じだろうと思う。


2年前の偉大な勝利の後、瑣末な紆余曲折は経ても「明らかな民の支持を受けた政策の実現」にも反対の表明を受け、今回は「再度の選挙」をもって正統性を示さねばならじ、と決断せざるを得なかったのだから。


その上で今回の決断は、理想的に民主的で、思いやりにも満ちているがゆえに逆に多くの憎悪と批判を巻き起こさざるを得ないだろう。

しかし、市民の多くがささやいている事は、今の段階では気にする必要はない。

これは"幕"が開く前につきものの、期待と不安を受けたさざめきに過ぎないからだ。


「論点を提示し」「市民に提案して支持を得る」ということが民主主義の政治家にとって無くてはならない資質である事はほぼ疑問の余地は無いはずだ。

しかしながら、今回の行いについてのマスコミの指摘は『前代未聞』であるという一点に集中しているように見える。

旧来の振る舞いはもちろん、旧来の政治、旧来の行政を覆す事についても、本当の意味で反対するものは少数であるの事はほぼ疑いがないはずなのだが。


・・・・・・人間の認識力については微苦笑するしかないが、やはり"幕"が開き、眼前でその事物が展開せねば公正な判断などおぼつかないのが人間であるのだろう・・・・・・。


かくなる上は、すみやかに「幕」を開けて、『筋立て』を人々の眼前に明らかにすべきだろう。


そして、市民が「論点」を再認識し、その上で自身が本当に求めるものを得る事・・・・・・

・・・貴方が指摘するように、この劇の最終幕は『住民による直接投票』である、住民が投票した結果が行政を変えるという『事実』に人々が接すれば、人々は本当の意味で『民主主義』を体感するだろう・・・

・・・・・・を私も強く願っている。


偉大なるドーチェ(頭領) ハシモトへ
一市民 義巨より。