"マネジメント"="管理"と訳するテスト主義の矮小さ。



言葉の翻訳がその「振る舞い」の定義を「矮小」にしてしまう事が日本では多い気がしています。

その最大の例は"マネジメント"を"管理(管理職)"と訳する事です。

広義の言葉である"マネジメント"の意味を(日本で)ビジネスの用語として使われる場合の意味に「合わせた」という事なのでだと思いますが、こういう翻訳はおおむね「矮小化」につながっていると思われます。


海外では『特別な用語』を必要なく作り出す事はあまりありません(その場合BPOのように単に頭文字をとって略語にする傾向が多いでしょう)。


"本来の意味から考えるとManagementには『経営(経営層)』のほうが適切"



Control(支配)というような意味が強い「管理」をManagementの訳語にあてたのは、おそらく訳者が「経営」という広がりのある言葉を「中間管理職が行う事ではない」と自己規制したためではないでしょうか?

(…ですが、皆さんご存知のように中間管理職も「経営と一体」という事で残業代は出なかったりするのです何なんでしょう、この二枚舌)


「マネジメントの重要性」というような研修を受けたとしても、日本人だけが「部下の『管理』をどうするか?」と考えているとすればこの「矮小訳」によって日本の企業活動は大きな損害をこうむっていると考えられるのではないでしょうか?

関連:目標管理制度のヤバイ話「始めから無効化した制度を導入した日本企業」

ビジネス用語でヤバイ翻訳多発の「マネジメント関連」



さてこの「ビジネス用語翻訳(?)」について、ヤバイ翻訳が多いのが『マネジメント』がらみの用語です。

例えば『目標管理制度 = Management by Objectives and Self-Control』なんて概念も「目標を出させて管理する制度」という単なる「ノルマ制度」に変わってしまっています。

セルフコントロールは何処に消えたんだ!?…本来は、会社と個人が「その人がどの目標に向かって努力するのか?」を『相互に同意』して「自発的な目標が業務」に含められる・・・・・・というような『前向きで建設的な制度』であるはずなのですが。



ヤバイ翻訳No.2「エンパワーメント」



さて、一番の誤訳はManagement=管理だと思うのですが、私は2番はこのエンパワー(empowerment)ではないかと思っています。

"エンパワーメント"="権限委譲"というのはあまりにも矮小な翻訳です。

この訳では"力は下賜されるもの(えらい人から与えられるもの)"になっています。

本来のエンパワーメントがそういうものではないのは明らかです(歴史についてはこちらを)。


さまざまな社会運動の過程で使われてきたエンパワーという言葉にはどちらかというと「希望を与える」という意味合いのほうが強いとさえ思えます……希望が市民運動を盛り上げ、最終的に「公正を実現した(結果虐げられた人たちに力を取り戻した)」という事がほとんどです。

文字通り『力(POWER)を与える事』がエンパワーなわけです。

それは「現状がどうあれ、いずれは必ず良いもの、より公正な組織、社会が実現される事をみんなが望んでいて、そしておそらくは実現される」と希望を与える事が『エンパワー』という言葉には本来含まれているのです。


より重大なのは『その姿勢、振る舞い』。



『権限委譲』という『権限を下賜する』言葉では、「Empowerment」の重大な意義(本来は持つ明るい意味)を理解する事は出来ないでしょう。


「Empowerment」に適切な訳語は・・・・・・苦しいところですが、希望を与え、理想を実現する『希望付与・理想探求』とでもするべきではないかと思います。


経営者の皆さん「希望を付与し、理想を探求する」ために権限も付与してあげてください。

ビジネス系の用語は結構「哲学的」なモノでその理念の理解が無くては生きないモノが多いのです。
例えばアダム・スミスは「経済学の父」と呼ばれますが、本来の仕事は「神学と教育」でその理念に基づいてまず分業の重要性を指摘し、次に「考察したこと」が経済学につながったのです(経営学はもう少し後なのですが、アダム・スミスは結構現場的な事(鍛冶屋の例)も書いています)。

そしてアダム・スミスが「国富論」で指摘したもっとも重要な概念「比較優位」は『全てにおいて能力に劣った国(主体)』であっても「相互に役割分担をして、自分の最も得意な事に集中する事で世界に貢献できる」という『希望(エンパワー)』であったのです。

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