瀬戸内海と灘

〜東洋のエーゲ海 瀬戸内海〜


【瀬戸の内海】

瀬戸とは狭門(せと)を意味し、狭い海峡を意味します。

現在は瀬戸内海と呼ばれているエリアはかつてはそれぞれの瀬戸に区切られたエリアごとに「周防灘」「伊予灘」「燧灘」「安芸灘」「備後灘」「備讃瀬戸」「播磨灘」「紀伊水道」に「広島湾」「大阪湾」そして「宇和海」「響灘」というようにバラバラの海として名づけられ、認識されていました。

江戸時代の旅行記で「瀬戸内」という言葉が出てきてもそれは「尾道と下関の間」を意味したりしています(もうそこからは播磨灘・大阪湾なので瀬戸内ではないということなのでしょう)。


これを、明治期に来日した外国人が彼らの地理的概念に当てはめ一括して「内海」と呼んだところから、日本人学者がこれにこの海域を特徴付けている島とそれによる狭海峡の多さを示す「瀬戸」をつなげ「瀬戸内海」と名づけました。


【豊かな海】

連続する瀬戸が存在することで瀬戸内海は「速い海」となっています。
瀬戸内海全体の水が干満によって出入りするのですが「瀬戸」のある場所はちょうどホースの口を狭くすると水が勢いよく噴出すように、狭い海峡を大量の水が通過する都合上速くて力強い流れとなるのです。

瀬戸による速い潮の流れが海中を常に攪拌するため、通常であれば海底に沈着してしまうような栄養分も魚類の生息域まで巻き上げられるため、非常に豊かな漁場となっています。

瀬戸内海は豊かな漁場として有名ですが、それもまさに"瀬戸"の賜物なのです。


【美しい海】

ちなみに外国人の旅行記を見ると、彼らはこの海域の変化の多さと美しさに強く心を惹かれるようで、多くの賛美が送られています。

シーボルトは療養で瀬戸内海を訪れ、世界初の日本旅行記といえる「日本」で「船が向きを変えるたびに魅するように美しい島々の眺めが現れ、島や岩島の間に見え隠れする日本(本州のこと)と四国の海岸の景色は驚くばかりで…(略)」

「ある時は緑の畑と黄金色の花咲く菜の花畑の低い丘に農家や漁村が活気を与え、ある時は切り立った岩壁に滝が懸かり、また常緑の森の彼方に大名の城の天守閣がそびえ、その地方を飾る無数の神社仏閣が見える。遙か彼方には南と北に山が天界との境を描いている。隆起した円い頂の峯、それをしのぐ錐形の山、ギザギザのさけたような山頂が見え 峯や谷は雪に覆われている。」と述べているし。

またイギリス人のトーマス・クックは「私はイングランド、スコットランド、アイルランド、スイス、イタリアの湖という湖のほとんど全てを訪れているが、瀬戸内海はそれらのどれよりも素晴らしく、それら全部の最も良いところだけをとって集めて一つにしたほど美しい。」

ドイツ人の地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは「広い区域に亙る優美な景色で、これ以上のものは世界の何処にもないであらう。将来この地方は、世界で最も魅力のある場所のひとつとして高い評価をかち得、沢山の人を引き寄せるであろう。」と述べています。

最大級の賛辞が瀬戸内海に捧げられていると言えるのです。
特にリヒトホーフェンはシルクロードの名づけの親として世界的に有名な学者であったのでこの日本紀行で日本の風俗や瀬戸内海を世界的に有名にしました。

もっともリヒトホーフェンは「かくも長い間保たれて来たこの状態が今後も長く続かんことを私は祈る。」とその後に述べて明治維新後に早くも景観破壊に警鐘を鳴らしているのだが。


【多島海】

多島海(エーゲ海)といえば世界的にはやはりギリシアとトルコまで連なる多島の海を指しますが、瀬戸内海も大小3000の島嶼を持つ多島海として世界的にも知られています。

牛窓などは"東洋のエーゲ海"というフレーズを積極的に宣伝していて、その美しい景観を誇っています。


今回伺う家島諸島はその多島海の西の始まりと言える場所で、島の密度では「備讃瀬戸」や「伊予灘」には敵いませんが、逆に広い海「播磨灘」の望める景観も我々には魅力的なはずです。


家島諸島 男鹿島


谷崎潤一郎と猫

谷崎潤一郎とその飼い猫


【家島】

――うえおきし 誰が家島の山桜 春ゆく船の 泊りなるらむ――
藤原 家隆

万葉集でも歌われている、家島(イエシマ)は古くは家島(ヤシマ)と呼ばれていました。

対岸にある室の津は中世の日本にとって最も重要な港で、太平記などでは「もっとも重要な港」とあつかわれています。


と、いうのは、室の津・家島が当時の大陸(中国)との貿易の発起点であったからです。

はるばる海外から来た船は瀬戸内海を通過し、室の津で商品を陸揚げするか、家島で仲介され、堺などまで回航されました。

ちなみに室の津の「室」は石室などの室で、この港の中が「室の中に居るように安全」だからついた名だといわれています。

そして家島も同様に神武天皇が東征の折にこの島で「家の中にいるように安全」とおっしゃられてそこから「家島」とされたと言われています。


室は重要な港ですが、その海上基地ともいえる「家島」はこの室の港と連携した重要拠点だったのです。

古代からこの島を巡っての戦いがたびたび記録されており、例えば崇徳天皇の治世、太治年中に海賊が巣窟を作ったので勅命でこの島へ兵船が派遣されたと記録されていますし、平将門の乱と呼応して起こった純友の乱ではまさにこの海域を巡って朝廷と反乱軍が2年にわたって戦っています。

家島本島の中央にある飯盛山には古くから城が築かれており、大陸との交流の最後の関所、そして大和による瀬戸内海支配の始まりの地点だったのです。


【男鹿島】

男鹿島(タンガシマ)は家島群島の主要4島のなかでもっとも人が少なく人口150人。
円周10km、面積4.57平方km。

もっとも地味な島ですが、もっとも海がきれいな島でもあります……なぜなら人口が最も少ないからです。


島名の由来は昔、姫路にいた雄と雌の鹿が居たのですが、雄の鹿だけが海を渡ってこの島にたどり着いたことから「男鹿島」の名がついたと言われています。


家島全体についてもいえることですが、古代から交通の要衝として栄えてきたためさまざまな遺跡が存在します。

1959年の総合調査では男鹿島に弥生時代の集落跡、そしてヒシノタイ古墳が発見されています。

遺跡からはサヌカイト(讃岐石)で作られた石器が発見され古代瀬戸内の交流の活発さがうかがえます。


島の各地には採石場があり、島の面積の30パーセント程度を占めています。
島を削るときには発破(ダイナマイト)をかけるのですが、大きく崩すときを「大発破」といい、島全体で祝杯を上げる風習があったと言うことです。

ちなみに大発破をかけると島全体が震度6ぐらいで揺れ、吹き上げる土煙が空を覆ったといいます。


こういうことをお祝いにするというのもなかなか良い感じではあります。

現在でも「小発破」は時折行われているということです。


【男鹿島と物語】

家島を舞台に扱った作品としては谷崎潤一郎の「乱菊物語」が有名です。

谷崎潤一郎という大作家が関西移住後に挑む生涯初の「大衆小説」として描かれたのがこの乱菊物語です。

室町時代の末、戦国の時代が続いて久しい時代の室津と家島が主な舞台となっている伝奇小説で、家島の領主兼海賊の頭、アシカ馬に乗る海賊、室の支配者でもある遊女、そして播磨の大名やその執権が合い争う……という不思議な物語。


男鹿島はこの物語ではあまりぱっとしない扱いです(せいぜいアシカの説明に出てきたり、または「人食い穴」のある島…というような扱いです)。

まあま、物語上での島の位置づけとしては「本島」である家島がやはり主になるのですが、物語の上でたびたび名前が扱われるところを見ると、当時(明治)もやはり見るものの心を捉える「異相」の島であったのでしょう(関空の工事はまだ始まっていませんでしたが、大阪城の石などは当然すでに切り出されていたのですでに奇妙な島だったのではないでしょうか)。


【家島諸島の島】
名称のある島は、全30島。東西約25km。

[東側の島]
 1.上島   (かみじま)−−1島多称で日本一。群島最東端。生駒山から見える?
 2.クラ掛島 (くらかけじま)
 3.太島   (ふとんじま)、
 4.大碇礁 (おおいかりしょう)
 5.小碇礁 (こいかりしょう)

[北側の島]
 6.宇和島  (うわしま)−−−2島で一名称。(双子の島???)(男鹿島の北西)

[中央部の島]
 7.男鹿島  (たんがしま)−−対岸に姫路市、妻鹿(めが)がある。一対?。採石の島。
 8.家島    (いえしま)−−主島。人口5000人。真浦区・宮区。
 9.坊勢島  (ぼうぜじま)−−坊勢区。漁業。お坊さんが大勢来たから、とも。坊勢島・西島の間に、約50mの「天の浮橋」という浅瀬が有った。

10.西島   (にしじま)−−家島・坊勢島の西の島。採石の島。「天の御柱」と呼ばれる岩がある。この柱が「天の逆矛」であるとしてこの家島をいざなみいざなぎの降りた「おのころ島」であるともされる。

[南側の島]
11.加島  (かしま)−−−「人喰い沼」があるという。
12.黒島  (くろしま)
13.矢ノ島 (やのしま) 
14.大コ島 (おこしま)
15.高島  (たかしま)−−むかしは「小高島」
16.松島  (まつしま)−−大むかしに「野生馬」が居たとの伝え。姫路藩も馬を放牧。乱菊物語ではアシカ馬を作るために放牧したと語られる。
17.大ヤケ島(おおやけじま)
18.桂島   (かつらじま)
19.小ツフラ島(こつふらじま)
20.大ツフラ島(おおつふらじま)
21.長島    (ながしま)
22.三ッ頭島(みつがしらじま)

[西側の島]
23.小ヤケ島(こやけじま)−−−「こうない嶋」とも?
24.院下島 (いんげしま)−−−「院家島」との表記も。
25.黒フゴ島(くろふごじま)
26.高羽島 (たかばじま)
27.金子島 (かなこじま)
28.小松島 (こまつじま)

[所在不明]
29.ハダカ島(はだかじま)